聖地巡礼 峠茶屋

衰微した日本の霊性を再生賦活させる内田樹先生・釈徹宗先生による「聖地巡礼ツアー」に参加している巡礼部および関係者によるブログ。ロケハンや取材時の感想などを随時お伝えしていきます。

NO.21 なぜかサルデーニャ。3

申し訳ありません……最後の更新からずいぶん経過してしまいました。聖地巡礼峠茶屋管理人です。さてお待たせしましたが、投稿企画「私だけの聖地」の最後の掲載は、巡礼部副部長の青木真兵さんの「なぜかサルデーニャ。3」です! すでに2回投稿いただいており、今回が完結編になります! これまでの2回のご投稿とあわせてぜひぜひ、ご高覧ください!

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なぜかサルデーニャ。3(青木真兵)

 イタリア半島の西側に浮かぶサルデーニャ島。ひと夏、ぼくは青い海と輝く太陽が照りつけるこの島にて、発掘調査に従事してきました。石で囲まれた遺構の土層を、一つずつ剥がしていく作業。掘り返した土のなかにあるかもしれない小さな資料に目を凝らし、見つからない場合は一輪車で土捨て場へと向かいます。なにか特別なものが出てこない以上、ひたすらこれを繰り返すのでした。
 そういえば、初めての一人旅はトルコ。2001年9月11日にアメリカで起こった同時多発テロによって、高校生だったぼくは「キリスト教イスラム教という二つの宗教が現在もなお対立関係にあること」に大変なショックを受けました。ヨーロッパの中世史がそのまま目の前に現れたような、そんな衝撃でした。テレビから流れてくる情報を真に受けたぼくは、「イスラム教徒ってのはなんて悪いやつらなんだ!」と憤慨したのを記憶しています。でも「本当にそうなのかな?会ってみないとわからない!」、これがぼくをトルコに向わせた一つのきっかけでした。
 トルコを訪れてから約10年。その間にもチュニジアリビア、エジプト、イタリア、スペインといった地中海沿岸諸国を回りました。宗教はもちろん、現在の政治体制、ヨーロッパの支配を受けた近現代史の違いなどによって、肌で感じる雰囲気はそれぞれ異なるもの。しかしやはり「地中海世界」という同じ自然環境を共有する文化圏の存在を、なんとなく理解したのでした。
 さてこの度、サルデーニャ島にて参加した調査地は丘の上にあるモンテ・シライという遺跡。古代地中海世界において沿岸部に暮らした海洋民族フェニキア人が、内陸との交易をするためにつくった拠点だといわれています。調査自体は朝8時から12時半という比較的涼しい時間帯にだけ行われ、ぼくが担当したのはC46という番号がふられた「凝灰岩の家Casa di Tufo」。なぜ「凝灰岩の家」という名前がついているかというと、正面の壁だけに白い凝灰岩が使われていたからです。
 遺跡というのは見つかったモノ(遺物)が、どのような位置関係でその場所から発見されたのかによって、「その空間が何に使われていたのか」ということを推測していきます。残念なことにC46がどのようなことに利用されていた空間なのか、それを決定付ける証拠はまだ出て来ていません。ただ出土する土器をみるに、フェニキアカルタゴ期にさかんに利用されていた空間であったようです。
 発掘調査日の夕方には、午前中に発掘された土器を洗います。バケツに水をはり、3人がひとつのグループになって、歯ブラシで優しく泥を落とします。たまに混じっている小石をサッサリ弁ではクラッヒュCrasthuというらしく、イタリア語と全く異なるサルデーニャ語を教えてもらいました。そして再び自由時間をはさみ、21時過ぎから夕食。3、4人がグループとなって交代で夕食をつくるのですが、なかにベジタリアンの方がいたこともあり「前菜でサラダ、主食がライスサラダ」など、ヘルシーでお腹に優しい食事となりました。

f:id:seichi_jyunrei:20140708104443j:plainモンテ・シライ遺跡からの眺望


 ぼくのことをお世話してくれたのは、体の大きなアンジェロおじさん。おじさんといっても年齢はそう違いません。毎日暇さえあれば海岸のカフェで一緒にお茶をしました。海からの心地よい風に吹かれながら、発掘作業の疲れを癒す。特に有意義な会話をするわけではなく、基本的には同じ発掘チームの仲間をモノマネで揶揄してキャッキャしてるだけなのですが、たまに「日本人にとって天皇とはどんな存在なんだ?」とか、日本語でも説明が難しいことを聞いてきたりします。
 発掘調査は平日のみ行われ、週末はフリータイム。ぼくはアンジェロおじさんのご自宅へ遊びに行くことになりました。島南西部の発掘調査地から北へ走ること約3時間。サルデーニャ島第二の都市サッサリがあります。その途中で寄ったのが、ヌラーゲ・サンタクリスティーナです。実はサルデーニャ島フェニキア人の遺跡でも有名なのですが、もう一つ異彩を放つ歴史的側面があります。それが「ヌラーゲ」です。

f:id:seichi_jyunrei:20140704175134j:plainサンタクリスティーナのヌラーゲ


 ヌラーゲは紀元前1500年ごろから建設され始めた建築物で、これを建てた人びとが担った文明を「ヌラーゲ文明」と呼びます。トウロモロコシを半分に切ったような形をしたヌラーゲは、もともと砦であったものが塔に発展していったと考えられています。スー・ヌラージ・ディ・バルーミニバルーミニのヌラーゲ群)は世界遺産にも登録されています。当時このヌラーゲは島内に約12000基が林立していたといわれ、現在でも約7000基が残存しています。サルデーニャ島が「塔の島」と呼ばれるゆえんがここにあるのです。
 サンタクリスティーナを出発したぼくらはサッサリへ。アンジェロ邸は旧市街から車で10分ほど。平日の合宿所生活では得られなかったカロリーを取り戻そうというのか、それとも再びやってくるヘルシー修行期間に備えようというのか、アンジェロおじさんとともにオリーヴ油とチーズこってりのパスタ、リゾット、ピザを食べに食べたのでした。こうしてまた午前中は発掘をし、午後は昼寝をしてカフェを飲む一週間がやってくるのです。
 今回のサルデーニャ島での発掘調査やアンジェロおじさんとの交流は、頭ではなく体で、「何か」の存在を確信させてくれるものでした。それは輝く太陽のなかに、海から吹く風のなかに、アンジェロおじさんがつくってくれたパスタのなかに含まれていたのでしょう。おそらく地中海に暮らす人びとはその「何か」でできていて、古代からずっとその「何か」とのつきあいは世代を超えて人びとのなかに堆積してきたのです。
 地中海世界に住む人びとは、ぼくたちとは異なる時空のなかを生きているようです。その時空の内実はかなり「前近代的」であり、もしかすると「ポスト近代的」、いやむしろこれを「普遍的」というのかもしれません。それは徹底した「人間主義個人主義」と呼ぶことができます。そしてここには人間が勝てない「何か」の存在が自明とされている。人間はその「何か」によって生かされ、怒り、悲しみ、喜ぶ。
 ぼくが地中海を求めるのは、決して美味しいワインとチーズのせいだけではありません。その「何か」に立脚した人間のあり方、人間関係が心地よいからなのだと思います。それは姿・形・色・味を変えて、世界中に存在しているはずです。自分の頭ではなく、体が本当に求めるもの。このありかを辿っていくと、そこが自分にとっての「聖地」なのかもしれません。
Profile
青木真兵(あおきしんぺい):古代地中海史(フェニキアカルタゴ)を研究中。好きなものはいちご。
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まさに、今回の企画にふさわしい印象的な投稿をありがとうございます。「頭」ではなく、「身体」が求めるものが聖地ではないか、という問いは、これまでの管理人の少ない人生経験からも感じるところがあります。美しい風景の写真を見ていると、「何か」を求めて地中海、旅してみたくなりますね。
さて、これで「私だけの聖地」の全投稿の掲載が終了しました。これから、内田・釈両先生に原稿をお渡しし、「グランプリ 聖地巡礼峠茶屋賞」「内田樹賞」「釈徹宗賞」の選考をしていただくことになっております。発表は9月中に行なう予定です。こうご期待!(管)