聖地巡礼 峠茶屋

衰微した日本の霊性を再生賦活させる内田樹先生・釈徹宗先生による「聖地巡礼ツアー」に参加している巡礼部および関係者によるブログ。ロケハンや取材時の感想などを随時お伝えしていきます。

No.18 とっておきの聖地

 さて、6月に入り、「私だけの聖地」の投稿期間が終わりました。みなさま、たくさんのご投稿、ありがとうございました! 仕事のあいまを縫って更新させていただきましたが、最終的には20回を超え更新をさせていただくことができそうです。あと1か月ほど更新を続けさせていただき、両先生にお選びいただいた上で、「聖地巡礼峠茶屋賞」などを発表させていただければと思います!
 ということで、今回は徳島に在住の千鳥さんのご投稿です。大学時代に過ごされた山口市の街並みをめぐる文章です。
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とっておきの聖地(千鳥)

 私には、とっておきの聖地というものがあります。 
 その場所とは、山口県山口市「国宝 瑠璃光寺五重塔」を始点に広がる限定的なエリアなのですが、その場所には一帯を聖地たらしめる要所がいくつか存在します。
 まず、瑠璃光寺の少し北東に位置するのが、およそ500年前に造られたという「常栄寺雪舟庭」です。この場所は、室町時代守護大名であった大内家の第14代当主・大内正弘氏が応仁の乱で敗れた後、山口に戻った際に水墨画家の雪舟に造らせた庭園だそうで、約900坪という広大な土地に池泉廻遊式庭園と呼ばれる美しく、そして物語性を備えた庭が広がります。
 雪舟と大内氏の親交は深く、雪舟が明国へ修行に行く援助をしたことに始まり、帰国後、応仁の乱で荒廃した京の町を避け大内氏を頼り、山口の地で創作活動をしたそうです。
 次に、雪舟庭から国道を隔ててすぐの場所に位置するのが、私のかつての学び舎「山口県立大学」です。1941年に女性専門学校として設立され、現在、入学定員がおよそ300名という小規模な公立大学です。学舎は緑に囲まれ、夏でも研究室の窓を開けておくと、ひやりと肌に心地よい山風が入るのです。そして最も居心地がよい場所が、構内で唯一レンガ造りの図書館です。照明は暗く、しかし窓から差す柔らかい陽の光が、整然と並ぶ本の数々を照らします。それらの圧倒的な力に自分の非力さを覚えながらも通わずにはいられない場所でした。
 続いて、山口県立大学から南西に位置するのが、キリスト教の宣教師フランシスコザビエルの来訪400年を記念し、昭和26年に建てられたという「ザビエル記念聖堂」です。
 天保18(1549)年、キリスト教を布教するため来日したザビエルですが、鹿児島や京都ではそれが叶わず、その後に立ち寄った山口の地で、第31代当主・大内義隆氏により日本で初めて布教の許可を与えられたそうです。その所以から、この場所には日本最初の教会が建てられ、また日本最初のクリスマス(降誕祭のミサ)が行われたそうです。今でも、記念聖堂で15分おきに鳴らされるカリヨンの鐘が毎日、山口の町に響くのですが、その響きはここで暮らす人々の生活に根付き、そして同じ瞬間に、ひとつの響きを共有する人々への祈りに似た感覚を想起させます。学生時代、あの鐘の音を耳にすると、自分以外の誰かのことを想わずにはいられなかったことを思い出します。おそらく、私たちがその鐘の音から、大内文化の礎でもある、外からやって来た異邦人や異文化を受け入れようとする想いと、各地で迫害を受けながらも異文化で暮らす人々に対し、救いの教えを説こうとした宣教師達の想いを、時を越えて鮮明に感じ取るからなのでしょう。
 また、ザビエル記念聖堂のすぐ近くを流れるのが「一の坂川」です。この川は、第24代当主・大内弘世氏が、山口の街づくりを行う際に、京都の鴨川に見立てて整備した川だそうで、春になると両脇に植えられた桜の木が満開の花を咲かせ、また季節が移り初夏になれば、天然記念物のゲンジボタルが乱舞する様子が見られます。これは、京より迎えられた弘世氏の妻が都を懐かしみ偲ぶ姿を見て、何とか妻を慰めようと、宇治から取り寄せたゲンジボタルを放したことが起源だと言われているそうです。小さい川ながら、その川を造るに至った弘世氏の、街に暮らす人々への想い、また妻への想いは現代にも受け継がれおり、町の人から大切に守られ、生活の一部として誰もが記憶する場所となっています。
 そして、一の坂川を北上した場所に位置するのが「国宝 瑠璃光寺五重塔」です。瑠璃光寺は山口市を見渡せる小高い山に位置し、五重塔は寺のシンボルとなっています。この五重塔は、応永の乱で敗死した第25代当主・大内義弘の菩提を弔うために、弟の第26代当主・盛見氏が建立したといわれるもので、その美しさは日本三名塔の一つにも数えられ、東京スカイツリーを造る際のモデルのひとつにもなったそうです。
 その姿は、京都などで見られる華やかで圧倒的な存在感を持つ五重塔とは異なり、ただ静かに町の安泰を願うような姿に見てとれます。この五重塔を愛した作家、久木綾子氏がその魅力について「瑠璃光寺の五重塔は私には、この世とあの世の境に立つ、結界に見えました」と表現したそうですが、まさに私たちはこの五重塔を目の前にした時、古来この町を造り、守り続けて来た人々の想いに出会うことができるのでしょう。
 私がこれらの場所を巡ったのは、大学3年生の時でした。人生における学びの師でもある研究室の教授が最初に行ったゼミの授業が、教授とともにこれらの場所を歩いて巡るというものでした。 
 学生誰もが断片的には訪ねたことがある場所を、改めて巡ることにどんな意味があるのか、当時の私には理解できませんでしたが、教授は涼しい顔で「自分たちがこれから学ぶ場所をよく知りなさい。そしてこの先きっと学ぶことに迷う時が来ます。その時には、この場所に立ち返りなさい。」と言われました。教授が言うとおり、学ぶ中では多くの壁にぶち当たり、心の中はひどく荒れ、自分を失いそうになることもありました。そんな時、絶望的な想いを抱えながら、なすすべもなくひとりでその場所を歩き、鐘の音を耳にすると、不思議と心が静けさを取り戻し、身体が軽くなり、学ぶことの原点に立ち返ることができたのです。
 この文書を書くにあたって知ったことですが、大内弘世氏はかつて山口の町を造る際、風水に基づき町に四神(青龍・玄武・白虎・朱雀)の象徴を配置したそうです。
 二十歳そこそこの学生であった当時の私は、そのような町づくりの所以など知る由もありませんでした。ただ、その場所においては自分が「守られていている」ということ、また、物理的には何の境目がなくとも、ある一定の場所を越えると「外に出てしまった」ということが、体感的にはっきりと分かっていたのです。この様にその歴史的・文化的背景を知らずとも、「ここは聖地である」ということが体感的に感じられる場所こそ、聖地である所以だったのだろうと、今になって分かるのです。
 大学を卒業後、山口の町を離れた今でも、自分の中に迷いや混乱が生じた時、目を閉じ、あの場所を巡る感覚を思い起こすと、不思議と顔を上げ自分が進むべき道を探る落ち着きを取り戻すことができるのです。それが、私にとっての「とっておきの聖地」です。

Profile:千鳥
徳島県在住。毎日仕事をしながら、束の間の休日には、音楽鑑賞・能の鑑賞・読書に明け暮れることを楽しみとする30歳です。

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「この場所に立ち返りなさい」というのは、とても素敵な響きですよね。なにか千鳥さんの教授の凛とした姿が脳裏に浮かんできます。そんな場所、自分にはあるかな~とちょっと考えたりもしました。ではでは、次回の「私だけの聖地」もお楽しみに!(管)