聖地巡礼 峠茶屋

衰微した日本の霊性を再生賦活させる内田樹先生・釈徹宗先生による「聖地巡礼ツアー」に参加している巡礼部および関係者によるブログ。ロケハンや取材時の感想などを随時お伝えしていきます。

NO.5 越(こし)のまほろば~白山を仰ぎ見て~

  さて、「私が訪れた聖地」の第5回目の更新です! 今回は内田先生門下の松原弘和さんが、福井県勝山市の平泉(へいせん)寺白山神社について書いてくださいました。グーグルマップで見てみると、まさに「本州ど真ん中」。今回は写真が盛りだくさんです。
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越(こし)のまほろば~白山を仰ぎ見て(松原弘和)

 到着したのは8時50分。あえてこの時間を選んだ。乗ってきた電車の車内、途中駅の柱、雲ひとつない晴れ晴れとした空。少し冷え冷えとしていたこともあって、青一色に染め抜かれたような気分でバスから降り立つ。
 実に様変わりしていた。参道に至るまでのあちらこちらで発掘作業が進んでいる。四十八社、三十六堂、六千坊。戦国時代においては寺領九万石に僧兵八千。往時の殷賑、幻の宗教都市の全貌が少しずつ、明らかになろうとしている。 

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 ここは福井県勝山市、平泉寺(へいせんじ)白山(はくさん)神社(じんじゃ)の入り口。「精進坂」と呼ばれる参道の石段を一歩一歩踏みしめる。風雪に耐えた「白山神社」の石碑は、後世の案内板ほど親身ではない。
 参道両脇の杉並木は無論お手植えではない。自然そのものだ。石畳は歳月に磨かれている。

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 参道を大方登りきったところに現れた鳥居。何ともいかめしい。古色を漲らせて訪れた者を出迎えている。拝殿は天正二(1574)年の一向一揆と平泉寺衆徒との戦いで焼失し、目の前にあるのは江戸時代に再興されたものである。それでも十分歴史を宿しているといえるが、「○○祈願」といった類のお札は殆ど貼られていない。清々しく、馴れ合いを拒んでいる。

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 私は、後ろに控える本社に参拝した。

―――4年前に私は一度この地を訪れている。勤め先の慰安旅行で、うっすらと覚えている。正午前に到着し、空はやや曇っていた。ほのかに霧が漂う境内、小ぶりの雨に身を浸したばかりの苔と石畳。静寂の内にある社殿―――。

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 今回は快晴。木々を優しく射抜く陽光が、地上に濃淡を加える。下界とはうって変わって一面の緑。変わらず息づく杉と苔に、太陽が彩りを添えている。

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 参道を下り始めた辺りから、ひとの話し声が聞こえてきた。特別な時間もおしまいか。そう思いながら歩を進めていたところ、参道の横道に年配の女性が数名わけ入っていくのを目にした。ここは来たことなかったな、と一興のつもりで脇道を下る。「御手洗池」という池に出くわした。

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―――御手洗池には伝説がある。白山の開山である泰澄大師がこの池で白山神を感得したというのだ。デジカメの画面を覗いて、私は合点がいった。何ということもない、自然の素材と映し出すレンズ。画面をみる私。全てがこのとき、ここに在ることで立ち現れる。彼の時代より幾星霜、世の移り変わりを見守るもの静かな光景が、目の前にあった―――。

 10時20分頃、参拝を終えて入り口まで戻ってきた。陽が昇ってきて、パーカーが少し暑いくらいだ。すぐ脇の林で何かを燃やしているようで、煙が立ち上っている。陽の光との交差で、何とも玄妙な気がゆらめいているような様が印象的だった。

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平泉寺白山神社のご祭神イザナミノミコト。白山の主峰、大御前(おおごぜん)(または御前(ごぜんが)峰(みね))を神格化したものとされる。太陽神アマテラスの母親であり、火の神を出産した際に火傷を負って黄泉の国へ行く。恋い慕って地上から追ってきた夫イザナギに醜く腐り果てた姿態を覗き見られて激怒、一日に地上の人間を千人殺すという言葉で夫に三下り半をつきつける。
イザナギも負けじとばかりに一日千五百人の人間をつくる、と言い返している。故に我が国の歴史は今日まで続いてきた…。)

 黄泉の国にいるイザナミを慕って泣きわめき、父イザナギから追放の憂き目に遭うのが夫婦神の末っ子、スサノオだ。彼は数々の豪快なエピソードを残し、最後には黄泉の国の神「牛頭天王」となる。また、彼の子孫からオオクニヌシが生まれるが、彼は天孫への国譲りの際、自らを祀ることを条件として黄泉の国にひきこもる。どうも私には、イザナミスサノオオオクニヌシ系譜に糾えられた冥界との縁が気になってしまう。
 イザナミがご祭神とされたことには、中央政権に対する地元の人々の抵抗の意思が込められている…。そう思いを巡らせた。支配者側の最高神アマテラスの母親、それも一日にひとを千人殺すと言うような恐ろしい母親。奥州藤原氏が白山を崇敬していたという事実(奥州平泉の地名も平泉寺に由来するらしい)。これらの点からして、古代北陸地方における先住民、大和政権成立後に「まつろわぬ民」と呼称された人々が脈々と保持してきた、自然信仰の頂に位するのが白山ではないのだろうか?
 明治の神仏分離令が出るまで、平泉寺は比叡山靡下の寺院であった。中世においては日本海に流れ込む九頭竜川を通して、大陸の文物も盛んに取り入れていた。2006(平成18)年には元朝の青白磁観音像の断片が出土している。日の本を統べる伊勢の神、外国(とつくに)に連なる白山の神。遍く恵みをもたらす神と、凍てつく寒さの果てに、暖かい日差しと雪解けを施す神。白山の神々は、支配者側の伊勢の神々と何とも対照的だ。
 顧みられなくなった人々がいる。そうした死者の存在に思いを致すこと、評価を下さず、ただ安らぎを祈ること。大きな時の流れの中で、ややもすると零れ落ちてしまいそうな信仰の本質。この原点に立ち返るにあたり、「白山信仰」というものがひとつの道標となるように思う。

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終わりに
 近代文明は人間が自然に介入して拵えたものである。しかしその内にあって、人間が本来蔵していて、普段使わずにいる心身の感覚を繊細に働かせずにはおかない空間がある。このたびの参拝で平泉寺白山神社が、そのような意味における聖域であると改めて感じた。 
 白山へと続く「禅定道」の入り口に三宮という社が、その横には「楠公供養塔」があった。偶然の符合であろうが、故郷神戸との奇縁をふと想った。

Profile
松原弘和:昭和57年、神戸市北区鈴蘭台にて出生。18歳までこの地ですくすく(?)育つ。大学卒業後就職し、愛知県に6年間居住。平成23年3月退職して帰省、内田先生の下に入門。以降、合気道を軸に人生を模索しつつ現在に至る。近々、野口整体から派生したボディワーク「平均化訓練」の研究会を立ち上げようかと構想中……。

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文章と写真から「聖地感」がバリバリと伝わってきますね。なにか「熊野」と共通するものがあるような気もします。その凛とした雰囲気がなんとも言えません。行ってみたくなります。さて、次は巡礼部副部長の青木さんの「なぜかサルデーニャ。」第2弾です。 お楽しみに!