聖地巡礼 峠茶屋

衰微した日本の霊性を再生賦活させる内田樹先生・釈徹宗先生による「聖地巡礼ツアー」に参加している巡礼部および関係者によるブログ。ロケハンや取材時の感想などを随時お伝えしていきます。

No.14 『置いてきた心魂』

 さて、「私だけの聖地」の投稿、続いては、平原さんにご投稿いただきました!「大学の恩師」「農家の方」「ご友人」といった、ご自身の貴重な体験を文章にされています。大学の恩師の方がチャーミングで、管理人好みです……でも、それは読んでのお楽しみ(笑)。ではでは、ご覧ください!
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置いてきた心魂(平原仁志)

 私は、奥羽大学という大学の文学部フランス語フランス文学科の出身です。同大学の同学部は、今はもうありません。
 ここ数年、あの緩やかだった学生時代のことを思い出すことが多いです。目の前の世知辛くもある現実の中で無意識的に心のガードを固めて閉ざしぎみにしてしまっているから、ガードゆるゆるだった若かった頃のことを思い出すのかもしれません。
 そんなわけで今回は、心の故郷の思い出話を幾つか書いてみようと思います。(後に本題に繋げます。)
 さいたま市の出身で、それほど学習意欲の高くなかった私は、「東下り(現代版)」とかなんとかキャッキャ♪言いながら、みちのくの町で独り暮らしを始めたのでした。そして大学の独り暮らし仲間と共同的な生活を送るようになるわけです。独り暮らしでありながら一人でいた時間が少なかったように思います。あの頃は日替わりで誰かしらとのんびりとした共同生活してましたから。大学の近くに部屋を借りて住む独り暮らしの大学生の友人があちこちにいたので、あちこちにお邪魔していたのです。不慣れな生活状況の中で、彼らには随分と助けられたと感じています。

 もちろん、私が助けられたのは学生の友人によってだけではありません。
 私は大学の文学部での4年間、申し訳ないことに勉強していた記憶はあまりないのですが、フランス語を勉強していたということに一応なっていました。
 その頃いつもお世話になっていた大学の先生と半ばプライベートなおしゃべりをしていた際に、「君はブッディストなんだね!」と言われた事がありました。真意は今でも分かってなかったりします。その時先生は、親鸞がいかに世界に誇れるかについて力説していたのを覚えています。私にとって少し難しい話でもあったので、「確かに家は先祖代々浄土真宗のお寺にお世話になってるしなぁ。」という程度の理解にしか及ばなかったのですが、今でも私は「どの辺がブッディスト的なのかなぁ?」と考えたりしているのです。おっしゃった先生のほうはとっくに忘れているに違いないが。
 私が「ベストな状態を目指して頑張ります。」などと言った時には、「ベストはやめな、ベター、ベター!」というようなアドバイスしてくださったり、卒業の際に私が「これからもフランス語の勉強を独学で続けますっ!」と言った時には、「もうやめたら。」と率直におっしゃってくれたりもしました。これから始まる新しい世界に集中せよ!!というような意味であったと記憶しています。......それか全く才能がないということだったかのどちらか、あるいは両方の意味だったかもしれません。 
 大学卒業後、その先生は私の結婚式にも出席してくださったのです。
 また、在学中、仏文学の学会の際に雑用のお手伝いをさせてもらったこともありました。学会終了後に、喫茶店に連れて行ってくださったりした時のこととかを、今でもなんとなく覚えているわけです。
   
 大学関係者以外の人でも、お世話になった人たちがたくさんいるので少し書いてみたいと思います。
 当時、農家のお宅で家庭教師をやらせてもらっていました。勉強が終わると、大きな食卓にそれはたくさんのおかずが並んでいる昔ながらの大家族の夜ご飯を、「一緒に食いっせー」と、そのお宅のお婆ちゃんが誘ってくださるのです。それはまるで「食いしん坊万歳」のような世界で、半端じゃないおもてなしでした。食べても食べても、「食いっせー」と言って次から次へとすすめてくれて...、こちらが「今日は食べてきたので...」と言っても 、「食いっせー」と言って次から次へとすすめてくれるので、それはそれはお腹パンパンだった時さえあったのでした。
 その上、帰り際にも、おにぎりやフルーツなど、がっつり手渡してくれるし、自家製のお米を袋いっぱいにくださる時もあれば、自家製のまだ発酵途中のスパークリング状態ののワインを一升瓶でくださる時もあるほどの、おもてなしぶりでした。(※複数件やっていたが、そういうような御家庭が多かったように思う。)
 
 そういった気取りのない円居の経験が、私自身をつくる大きな要素になっていたような気がしてます。そういった事のありがたみを、長い年月超えて改めて実感しているのです。
 
 夜中に、大学の敷地内の芝生の庭の、東屋のあるあたりをクラスの友人達と散歩していた時、牛蛙たちが「もーぅ(帰る?)♪」と合唱していたのを思い出します。昔の事です、今も変わらないであろうか? 円居の楽しさ以外で、学生生活を通して私が覚えていることといえば、巨大スイカやキャベツ・キュウリの本当の味や、しじまの虫の音や天の川や流星群や風や楓といったようなもののことばかりです。そういったものたちの言葉にできないプライスレスさを、仮にひっくるめて、「名前の前のなにか公的なもの」(名前をつけるとなにか私的なものになってしまうような気がするので)とでも呼ばせてもらいたいと思います。そういったものを肌身で感じとることができたことは、私にとってかけがえのない経験になっているのではないかと思うのです。
 
 未来の私へと続く目には見えない一本道は、そんな心の故郷(学生生活の場)から続いているにちがいないのです。自ら選んだ道か、自ずと選ばされた道か、よくわからないのですが、私が今歩むことができるのは、「この道しかない」のだろうなぁとしみじみ思って。
 だからそんな思い出の場所のことを私は、「私だけの聖地」と呼びたいと思うのです。
 今はもう無くなっってしまった学部と一緒に、「置き忘れた私の心魂」が眠っているかもしれない。
 もう長いこと訪れてないが、巡礼すれば若かった頃の僕の心を取り戻せるかもしれない、、かなぁ?

Profile
平原仁志:41歳、学習塾の先生です。詳しくは本文にて。
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「未来の私へと続く目には見えない一本道」という表現を目にしたとき、管理人は、内田先生が『日本霊性論』でも書かれていたスティーブ・ジョブズの伝説のスピーチの「Connecting the dots」の部分を思い出しました。改めまして平原さん、ありがとうございました!
 では、『聖地巡礼ライジング』の発売も近づいております。来週以降、釈先生の「まえがき」、内田先生の「あとがき」を両先生の許可を得て、掲載させていただきます。ご期待ください!(管)