聖地巡礼 峠茶屋

衰微した日本の霊性を再生賦活させる内田樹先生・釈徹宗先生による「聖地巡礼ツアー」に参加している巡礼部および関係者によるブログ。ロケハンや取材時の感想などを随時お伝えしていきます。

No.9 覚王山日泰寺、奉安塔

 さて、先週の金曜日に一般投稿を開始させていただいた「私だけの聖地」。今回は「サンプル」ということで、管理人の拙文を掲載させていただきます。「ロケハンどうでしょう」以来の文章の掲載となりまして、ちょこっとドキドキしております。ご高覧いただけましたら幸いです。ちなみに、「私だけの聖地」の募集要項は、ウェブでは右側の「カテゴリー」の一番上を、スマホでは「2015年1月9日の分」をご覧ください。ご応募、お待ちしております!
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覚王山日泰寺、奉安塔(管理人)


 お釈迦様のお骨の一部が日本にあるのをご存知だろうか?
 覚王山日泰寺名古屋駅から地下鉄桜通線で15分ほど、覚王山駅を降りて歩いて5分ほど。名古屋市千種区にある「覚王山日泰寺」というお寺がある。「覚王」とは「釈迦」のこと、「日泰」とは「日本」と「タイ王国」のこと。タイから贈られたお釈迦様のご真骨を安置している日本で唯一の超党派のお寺、それが日泰寺なのである。
 お寺の由来は具体的で、1898年、ウイリアム・ペッペという英領インドの駐在官が古墳の発掘途中で蝋石を発見し、それが釈尊は実在しないという当時の見方を覆す東洋史上の発見となった。これがインドからタイに送られ、セイロン・ビルマにも分与された際に日本にも下賜され、1904年に建立された――。
 なるほど、信憑性は高いようである。ちなみにご遺骨を安置する奉安塔は、日泰寺からさらに歩いて5分ほどの場所にある。

f:id:seichi_jyunrei:20150113145142p:plain日泰寺本堂。ご本尊はタイ国宝だった釈尊金銅佛。

f:id:seichi_jyunrei:20150113142933p:plain日泰寺から歩いて5分ほどの場所にある奉安塔入口。

f:id:seichi_jyunrei:20150113145303p:plain奥の拝殿のあいだから見えるのが奉安塔。

 僕は以前、2年ほど近くに住んでいて、普段は買わない「お守り」をこのお寺で買ったことがある。
 大学時代の仲のいい友だちがいて、一緒に障害を持った子どもと遊ぶというボランティアサークルに入っていた。僕にはちょっと真面目すぎるサークルで、あまり馴染むことができなかった。
 たとえば、バレンタインチョコをもらった男の子にいかに自分がモテないかを語り(事実です)、しまいには「チョコ分けてよ」とねだっていたものだから(基本的には笑わせるためです)、先輩からは「そういう話題はよくないね」といわれ、お調子者の僕は「子どもが楽しんでいるだからいいじゃないか」と常にグレていた。結局、僕は最終的に1年をもたずに僕はやめてしまったが、彼は根が真面目なので卒業まで続けて、しまいには彼女までつくっていた。ただ、同じバイトはずっと続けていて、腐れ縁はずっと続いた。
 そんな彼から「ガンになった」という電話をもらったのは、社会人2年目、転勤で名古屋に住み始めてしばらくしてからだった。東京で仕事をしている彼に何かしてあげたいと思い、悩んだあげく思いついたのが、この日泰寺のお守りを買うことだった。
「お釈迦様ならなんとかしてくれるだろう」
 いまから振り返ると恥ずかしいが、僕は当時、お釈迦さまは死から人間を救ったのではない、生きることは苦であると喝破し、生老病死の苦しみから解き放たれて仏陀になられた、ということなどまるで知らなかった。
 でも、彼は知ってか知らずか、とても喜んでくれた。それから1年ほどして転職して東京に戻ってからは、バイト先の先輩と一緒にカラオケに行き、居酒屋へ行き、仕事や未来について語り合った。大学時代そのままで本当に心地よかった。
 それから2年ほど――。
 彼が亡くなったと連絡がきたのは、フィジーへの新婚旅行に行く1時間ほど前のことだった。多少の迷いもあったが、僕だけの旅行でもないだろうと無理に割り切って、知り合いに最低限の連絡だけはして、機上の人となった。
 旅行先のフィジーは、まるで極楽浄土、天国のような場所だった。どこまでも続く澄み切った海、おいしい料理にお酒、無人島へのショートトリップ……そして至れり尽くせりのホスピタビリティー。
 そんななか、妻が寝静まったあとのコテージを抜け出し、僕はいつも砂浜に腰をおろして真っ黒な海を眺めていた。耳には波の音だけが響いていた。結婚式の直前に「体調がよくなくて来られない」という連絡が来ても、はじめて呼ばれた病室でだるそうな表情を見ても、あんなに仲のよかった彼が死ぬわけがない、と思っていた。映画のような奇跡は、当時の僕のなかでは「必然」だった。
 それなのに、目の前には現実でないような世界があるのに、心の中には受け入れがたい現実がある――。
 圧倒的な喪失感とどう向き合っていけばいいのかを知らず、目の前の事象がすべて嘘っぱちに見えた。油断すると彼のことをすぐに思い出した。しばらくは立ち直れなかった。
 ただ、救ってくれたのも彼だった。
 それから数カ月して、彼の実家のある茨城県の下館に墓参りに行った。守谷から出ている単線の常総線に乗り、カタカタと1時間ほど揺られて人影のない駅を降り、お寺の名前だけを頼りに彼のお墓を探した。思ったよりも苦労せずに見つけることができた。
 その日はゴールデンウィーク前の風もなく日差しの暖かな晴天だった。仏花と好きだったマイルドセブンのタバコを置いて、僕は墓前で静かに目を閉じていた。
 そのときだった。突然の涼風が肌を洗い、カタカタという音が聞こえはじめた。驚いて目を開けて確認すると、卒塔婆が揺れて互いが音を奏でていた。不自然にそれは始まり、しばらくすると何事もなかったようにやんだ。空を見上げると、白い雲がぽっかりと何事もないように浮かんでいた。
「目に見えないこと」を信じるようになったきっかけは、この彼の「挨拶」だった。
 もちろん偶然かもしれないし、自分勝手な想像かもしれない。そう思う人がいても当然だと思う。でも、僕の中ではそれは事実であり真実である。僕は彼に祈り、彼は僕に応えてくれた。何をいわれても、僕のなかでその確信は揺るがない。彼は間違いなくそこにいた。
 そんな経緯もあって「目に見えないことを信じる」ことをテーマにした聖地巡礼ツアーで、巡礼部さんのお手伝いをさせていただきながら、これまでさまざまな聖地を訪れてきた。
 鳥辺野、大神神社、大斎原……それらは古代からの人々に篤く信仰された祈りの場所である。換言すれば、古代からの多くの人間の「祈り」が堆積された場所である。こんな信心の浅い私の祈りでも、死者に想いを届けることはできる。ましてや幾重にも折り重なった膨大な祈りが、なんの力も持たないはずはない。
 昨年暮れ、たまたま訪れた日泰寺の奉安塔に人影はなかった。それでも澄み切った空気のなか、静かに手を合わせていると、自分ひとりで何でもできると思っていた、まだ二十代前半の自分がシンクロしてくるように思える。
 そこは「私だけの聖地」でもある。

Profile
管理人(かんりにん):普通に仕事をしながら、本ブログを更新する管理人です。大学時代に苦労して「西国三十三カ所」を満願した経験をいかし、4才になったムスメから遊びを強制される生活を甘受する生活を送っています。落語・釣り好きです。
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ちょっとしんみりとした文章を書いてしまいました。お恥ずかしい……ということで、みなさんの原稿も応募しております。実はこのブログ、結構なアクセス数があるので、みなさんの伝えたいこと、場所など、是非お教えくださいね! 
なお、『聖地巡礼』第2弾のほうも順調に編集作業が進んでいるようです。また随時、お知らせいたしますので、お楽しみに!