聖地巡礼 峠茶屋

衰微した日本の霊性を再生賦活させる内田樹先生・釈徹宗先生による「聖地巡礼ツアー」に参加している巡礼部および関係者によるブログ。ロケハンや取材時の感想などを随時お伝えしていきます。

No.4 1975年 夏

 さて、投稿企画「私が訪れた聖地」に次に登場していただくのは、「聖地巡礼京都編」に参加していただいた井上英作さんです! お送りいただいた原稿を読んで驚くのは、テーマは同じでも、まったく違う視点や内容、文体になるということです。「聖地」という日本語はきっと、かなりの奥行のある言葉なのかもしれません。そのような視点からもお楽しみいただければと思います!

・・・

1975年 夏(井上英作)

 それは、真夏のある暑い日のことだった。僕は、8月生まれのため、10才になったばかりだった。その日は、珍しくいつも一緒に遊んでいた近所の年上の友だちがいなくて、僕は同級生の家をあちらこちらと自転車で訪ねてみたが、どういうわけか、同級生も誰ひとりいなかった。僕は、ひとりぼっちだった。  
 今から約40年前、今のように、スマホもパソコンもなかったので、こどもたちの遊びといえば、野球か、虫取りか、かくれんぼぐらいのものだった。本当に、それぐらいしかなかったのである。今からたった約40年も前のことなのに、日本も随分変わってしまったものだとつくづく思う。
 周りの子供たちといえば、王選手や長島選手に憧れ、一生懸命野球に打ち込んでいたが、運動が苦手だった僕は、どうしても野球に馴染めなかった。むしろ僕は、絵に描いたようなテレビっ子で、毎週放映される「八時だよ全員集合」や「仮面ライダー」の放送を楽しみにしているような子供だった。そんな、どちらかというと内向的な性格だった僕が、唯一、はまった外での遊びが、「虫採り」だった。かぶと虫、クワガタ虫、蝉、トンボ、蝶々、亀、カエル、ヤゴ、カミキリムシ等、ありとあらゆる虫や爬虫類を捕まえては、家に持って帰り、その度に母親を驚愕させ激昂させた。どうしてそこまで虫採りが好きだったのか、今ではその理由が僕自身にもよく分からない。
 その日、僕には遊び相手がひとりもいなく、暇を弄ばせていたので、僕は一つの大きな決心をすることになる。「約束」を破ることにしたのである。その「約束」とは、通学していた小学校に隣接している神社の中にある大きな一本のクヌギの木にひとりで行くことである。そのクヌギの木は、こどもの手が回らないほどの太い幹で、数か所から樹液が滴っていて、常にカナブンがおいしそうに樹液をすすっているような木だった。僕たちはそんな宝物のような木を長い時間をかけてやっと見つけることができた。だからその木は僕たち仲間のものなので、その木に行く時には、必ずその仲間全員でいくことになっていた。
 僕は、その神社の石段の手前にある橋の手前で、自転車を止め、その石段を眺めた。
 その神社には、何十回と行っているのに、生まれて初めて一人で行くことになってみると、あたかも初めて行くような気分になり、なぜか僕は緊張し、手のひらにうっすら汗をかいた。僕は、小さな橋を渡り、40段ほどある石段を登り、境内に出た。だだ広い神社の境内には、僕以外には、誰ひとりいなくて、真夏の太陽の光と狂おしいまでの蝉の鳴き声が僕の孤独に更に拍車をかけた。この広い境内に存在するのは、僕一人だけである。思えば、この瞬間に、僕は生れて初めて「孤独」を知ったのかもしれない。僕は、何だか怖くなってきた。  
  それから、僕は境内の裏手に向かい、いつものクヌギの木を目指した。林の中へ足を踏み入れてみると、太陽の光が木々で遮られ、少しうす暗く、ひんやりとしていた。汗ばんだTシャツが少し冷たくなっていた。僕はクヌギの木の前に立ちすくむと、僕と僕以外のものとの境界が溶解していくようなそんな気がしてきて、僕は本当に存在しているのかどうか、だんだんと不安でいっぱいになってきた。虫採りどころでなくなった僕は、一刻も早くその場から逃げたくなり、走ってその場を去った。
 それから数十年後、僕は、なぜか急に登山を始めた。僕が登山をしていると、必ずといっていいぐらい「登山の何が楽しいの?凄くしんどいと思うけど…」と聞かれ、僕はその質問をされる度に、いつも困惑してしまう。なぜなら、僕自身にもその理由が分からないからだ。確かに、山登りは、しんどいことだらけである。殆ど徹夜に近いような状態で、早朝から15kgはあるリュックサックを背負い、高い確率で雨が降り、晩御飯もカップラーメンで、もちろん風呂に入ることもできない。実際、今このように文章を書いていて、僕自身何が楽しいのかと思ってしまう。ところが、下山していて、車道を走る車が走行する音が聞こえてきたりすると、何だか悲しくなり、今度はいつ登ろうかと思ったりもするのである。これだけ倒錯したものって、山登り以外に僕は思いつかない。
 ただ、ひとつだけはっきりしているのは、登山の途中で、疲れがピークを越え始めると、自分という存在がだんだんとなくなっていくような感覚に襲われ、この感覚こそ、10才の僕が、あの真夏の暑い日に、神社で体験したあの感覚と同じものだということである。もしかしたら、僕はあの時のあの感じをもう一度体験したくて、山登りを続けているのかもしれない。
 先日、仕事でその神社の近くに行くことがあったので、久しぶりに神社に行ってみることにした。神社のまわりにあった、田んぼや畑は、建売住宅に変わり、風景はすっかり変わっていた。大人になり子供の時に観ていた景色を改めて見てみると、道幅など、大きさが違うことに驚くことがよくあるが、その神社だけは、あのときのあのままの姿のまま静かに佇んでいた。

Profile
井上英作(いのうえ えいさく):映画、音楽の好きなサブカルおやじです。仕事は、不動産会社に勤務しています。ツイッターの自己紹介をみていただければ、そちらの方が正確かもしれません。https://twitter.com/BEATAWAY
・・・
記憶の底に眠る誰もが経験した物語を前景化するような、とてもなつかしさを感じる文章です。もちろんこの神社も井上さんのにとっての「聖地」なのですね。管理人もこのような自分の「聖地」はなぜかくっきり思い出されます。さて、次回は内田先生合気道門下の松原さんが「白山」について書いてくださいました。お楽しみに!