ロケハンどうでしょう?(3)
第3回目 奈良
~ひとりとふたり~
ロケハンも3回目となり、そのあいだ、久しぶりに見直した『水曜どうでしょう?』を見直し、すっかりはまってしまった管理人。今回から、タイトルを誰の了解もなく勝手に変えて、お送りいたします!
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第3回目の巡礼の場所は、日本のまほろば、奈良となりました。以前、西国三十三か所巡礼で奈良が大好きになった管理人。訪問予定の橘寺、三輪山はずっと行きたかった場所で、心が踊らないはずはありません。
そんなロケハン前日に水をさしたのが、相棒からのメール。
「風邪を引いた、無理だわ」
…がび~ん。
無責任極まりない自己管理の悪さのせいで、ひとりでロケハンをまわることになりました。しかも、ロケハンは結構、過酷なものでした。
まず、取材本番は10月初旬の「いい季節」でしたが、ロケハン自体は7月初旬。山々に囲まれた盆地である奈良は、半端なく暑い!!
しかも、通常レンタカーの運転を相棒がして、管理人が時間の計測を行っているのですが、運転まですると、やることが多くなってパニクルことが多い。
しかも、ちょっとでも道を間違ったりすると、ひとりだと必要以上に焦るんですよね。
むかし、免許を取りたてのときに、免許のない母親を連れて、千葉から横浜までドライブしたことを思い出します。まったく参考にはならないけれど、いてくれるだけでいい、そんな感じだったような気がします。
「ひとり」と「ふたり」。その違いはいろいろなところで感じました。
○麗しの奈良
それにしても、やはり奈良は美しい。
『聖地巡礼ビギニング』で両先生が述べられていますが、奈良で古代を思い起こすことはむずかしくもなんともない。なぜなら、景色がおそらくほとんど変わっていないからです。澄んだ空気も、吹き抜ける風も、すぐに僕みたいな愚鈍な人間の想像力ですら、簡単に古代日本への日常へと連れて行ってくれる。
それが簡単にわかるのが、最初に行った橘寺です。
聖徳太子が生まれた、とされている場所。掃除の行き届いた境内をまわっていると、なぜかとてもほっとした、落ち着いた気持ちになります。人間の持つ心のリズムと見事に同期しているからかもしれません。
でも、想像していないことは、それでも起こります。
最初のトラブルは、やはりごはん。三輪そうめんのおいしそうなお店にネットで目星をつけていたのですが、想像通りのおいしいランチメニュー。自分の直感の良さを認識し、
「よし!ここ決めた!」
とその場で巡礼当日の予約をしてみようとしたところ……店員さんは、
「その日(巡礼当日)は予約でいっぱいなんです」
がび~ん。
じつは取材日は、月次祭の日で、参拝者が多いようなのです。
結局、大神神社の方に教えていただいたお店を予約することができましたが(=とてもおいしかった!)、実際にロケハンで経験していないと、取材当日にトラブルが発生することも考えられます。「百聞は一見に如かず」とはよく言ったものです。
○わからない場所を必死で探して、書籍に載らない!
また、もうひとつ。場所がどうしてもわからない場所が出てきた、ということです。
そこは「龍神神社」といって、釈先生のおススメのスポットでした。
ただ、グーグルマップやネット、市販の地図などをいくら見てみても、情報はあまり出ていませんでした。
さすが、恐るべし釈先生。だって、大神神社の売店の方に訊いても、わからなかったんですよ!
とりあえず、「歩けばわかるだろう」という感じで、一人でテクテクあるきはじめたわけですが、ええと、やっぱりわからない(笑)。すると、同じ場所を行ったり来たり。
三輪山登拝できる最終時刻も迫っており、焦り始めるおっさんひとり……。
最終的には、ぎりぎりのタイミングでその神社を発見できました。ようし、これだけ探したんだから、きっと両先生のお話も弾むだろう……。
が、実際の巡礼では、諸事情により書籍には掲載されないことに。がび~ん、あんなに苦労したのに……。
でも、これも相棒と歩いていたら、ひとつの場所が見つからないくらい、そんなに不安にならなかったかもしれません。
○夏の三輪山登拝はほんとにつらい!
相棒がいないつらさは、それ以上に三輪山と登拝のときに感じました。
気温は30度以上で、蒸し暑い。しかも、前日もよく眠れておらず、半年以上マトモな運動をしていないこの身体。マップには行程が2時間程度と書かれていましたが、身体、持つのかなあ。ひとりで取り残されたらどうしよう、などと心配になりました。
でも実際は、書籍で両先生がおっしゃっているように、登拝前に登録をし、きちんとゴミひとつない、掃除が行き届いた道や石や階段が続きます。「遭難」などということは、まずありえない、まさに取り越し苦労でした。
でも、夏の三輪山登拝は、ほんとうにきつかった。
行程の半分ほどを越え、いよいよ本格的な階段が続くと、階段が崖のように見える。登って、ちょっと緩やかな道に出て、呼吸を沈めてから少し登り始めると、すぐに意気が上がり、ふたたび階段が崖に見える。
そんな状況だと、人間は何かせずにはいられなくなるのでしょうか。
僕の場合は、自然と「六根清浄」を唱えていました。とにかく汗がしたたり落ちる。汗を絞れるくらいTシャツはびっちょり。
でも、やはり苦しい経験を経るからなのか、それともその土地の聖性がすごいのか。おそらく両方なのでしょうが、三輪山の山頂のパワーはすごいものがありました。
その場所だけ、重力がゆがんでいるような、そんな感覚。肌が冗談ではなく、ヒリヒリしていました。
そんな苦行のロケハンだったのですが、ところが2度目の登拝となった実際の取材は、正直まったくつらくありませんでした。
巡礼部の方には、
「ほんとうつらいので、体調の悪い方は参加されないように」
などと言っていた手前、取材でみなさんで登っている最中は正直いうと、
「やば、すげー楽じゃん。大げさに言うやつだと思われたらどうしよう」
と思ったことも事実です。
もちろん、単純に季節が違い、すごしやすい天気だった、ということもあるのですが、それ以上に私にとっては、「一緒に歩いている人間がいるかどうか」ではないかと思っています。「つらいな~」といったときに「そうだね」という。「水飲みたいな」といったときに「そういえばのどが渇いたな」といってくれる。そんなトートロジーでもいい。
とにかく、自分の行動を確認してもらえる、経験を共有してもらえる、ということ。それだけで、人間はある意味、不安を軽減できる。
もしかしたら、それだけ人間は不安な生き物なのかもしれません。
いずれにしても、大阪・京都・奈良とめぐってきた日帰り巡礼は、『聖地巡礼ビギニング』をして書籍になりました。
これからも、熊野・長崎と両先生と巡礼部の「聖地」めぐりは続きます。
管理人も引き続き、気合を入れて、そのツアーを支えていけたらと思います。