聖地巡礼 峠茶屋

衰微した日本の霊性を再生賦活させる内田樹先生・釈徹宗先生による「聖地巡礼ツアー」に参加している巡礼部および関係者によるブログ。ロケハンや取材時の感想などを随時お伝えしていきます。

管理人のてくてくロケハン日記(1)

フィルターを通じて街を見ること

~はじまりのご挨拶と第1回上町台地

 

  さて、管理人は巡礼部のサポート役ですが、両先生をお連れする取材前の下見、いわゆるロケハンを行っています。どんな見所があるか、時間はどれくらいかかるか、そして何よりも「ビリビリくるか?」といったことをチェックするわけです。

本来ならば、結構大変な作業でしょうが、能天気な管理人とその相棒は、レンタカーに乗って時計を気にしつつも、両先生と同じように「ここはくるね~」「たしかに~」などといってワイワイガヤガヤしていることのほうが多い

もちろん、ロケハンでは想定外のことが多々起こります。オンボロ宿に泊まることになったり、仙人みたいな人に出会ったり、ヒッチハイクするはめになったり……。

そんなロケハンの顛末を神田の飲み屋で巡礼部の主要メンバーである副部長に話していると、「それは面白いですね~」と笑ってくれて、「本番の取材に至るまでの経過もまた巡礼の一部ですよね~」などと、妙なレトリックを使って、評価してくれたりする。

もちろん、それ以外にもいろいろな話をしたのですが、「はじめるにあたり」でも書きましたが、最終的には「巡礼ブログ」を立ち上げる、という話になったわけです。

神田で話した内容は、酔っ払っていて覚えていませんが、ほめ言葉だけはフムフムと聞く僕。調子に乗って、ブログ内に「ロケハン日記」なるコーナーを設けることになりました。

よろしかったら、「ほんとうに暇なとき」で結構ですので、お読みいただけましたら幸いです。できれば、うまい具合に両先生の「聖地巡礼」のサイドストーリーになることを祈りつつ……。

 

○つかれることの大切さ~上町台地

最初の取材となった上町台地のロケハンについてまず書こうと思います。

思い出しても、最初のロケハンは、まったくもって「行き当たりばったり」でした。取材に行ったのは、大阪での両先生による最初の聖地をめぐる対談(「どこに行こうか? 聖地巡礼」〈『聖地巡礼ビギニング』所収〉)が終わった、まさに翌日のこと。

対談で最初の巡礼場所が「上町台地」と決定したので、「せっかくだから、じゃあ、今日行くべ~」と、急遽、何もわからないまま取材を敢行することにしました。

でも、内田先生からは「かみまち台地じゃなくて、うえまち台地だよ」と注意されていた状態で、土地勘はゼロ。お電話で釈先生から「ええと、大阪天満宮から大阪城の前を通って、生玉さん経由で四天王寺の西門を見てきて」という指示を受けても、正直、位置関係はさっぱりわからない。

 

○実際に歩いてみると…

 ロケハンも、実際の後日の取材と同じ、大阪天満宮の裏の大阪天神繁盛亭前からスタートしました。

さあ、最初のロケハンだ! でも……見所って、なに? ぐるぐる境内を見て回っても、ううう……ぜんぜん、わからない。

もちろん、本殿をきちんとお参りをさせていただいたのですが、そのあとやったことは、「タバコを吸ったこと」だけ。でも、予備知識ゼロだと、そんなものですよね!?

 そこから目的地、上町台地に向け歩きはじめました。

上町台地は歴史上、大阪周辺で一度も海没していない土地。だから、宗教的な施設というか、古代人にとって重要な建造物が多くあります。おそらく、いまでも人間は台地から発する「微弱なシグナル」を感じているかもしれません。NHKや大阪府警大阪城といった、何か人間の核心に接続するような、重要な施設が並んでいます。

その途上にある、上町台地にあがるゆるやかな坂には、明らかな「境界線」を感じることができました。それは、明確に「ある」のです。ぜひ、関西在住の方はご自身で歩いてご確認いただけましたら幸いです。

 

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上町台地へと続く道

 

同時に、歩き始めて感じたのは、「目的を持った“町歩き”とはこんなに楽しいものなのか!」ということです。緩やかなどこにでもある日常生活の風景を「ある種のフィルター」をかけて眺めてみると、まったく違った景色に見えてくる。

その最近の典型例が、中沢新一先生の名著『アースダイバー』でしょうが、変わらない日常が違って見える、ということは、自分だけしか知らない、物事の本質に近づけるような気がして、ウキウキする行為です。

そういう側面で見ると、今回の「聖地巡礼シリーズ」は、訪問する土地について「霊性」というフィルターでとらえようとする営みと言えるかもしれません。

内田先生は、「聖地巡礼」をめぐって、「どの土地も宗教の関数であることに気付いた」と表現していらっしゃいます。僕もまったく同感です。宗教に限らず、「建築」でも「食物」でも「植物」でも、ある種のフィルター(関数)で解き明かそうと眼を凝らしていると、違ったものが浮かび上がってくるかもしれません。

 

○歩き疲れると見えてくるもの

 さて、ロケハンでも大阪・上町台地編と同様、実際にすべて歩いて取材したわけですが、あとで数えてみると、地下鉄の駅「南森町」から、「四天王寺」まで7駅分! 地下鉄に乗って、ドアの上の沿線図を見て、数えてみてびっくりしたのを覚えています。

実際のロケハンは、粉雪がちらっとふるなど非常に寒かったのですが(それなのになぜか休憩で入って注文したのはコーヒーフロート)、生玉さんに摂州合邦が辻、四天王寺と先生にお教えいただいた行程を確認することができました。

個人的にいちばん印象に残ったのは、やはりクライマックスである四天王寺西門。

その日は曇りで、実想観どころではありませんでしたが、両先生がおっしゃるように、やはり疲れて、頭を真っ白にすることは、とても大事だと思います。

頭が真っ白な状況になるからこそ、もしかしたら余計な「知識」や「記憶」といったものを身体の中からしばらくのあいだ消去することができ、自然な感覚に身をゆだねることができるようになる。

だからこそ、そんな状態でこれまで歴史上の人物が立ち、海を眺め続けていたまさにその「西門」に立つと、ある種の自我が解体していくような、歴史の渦のなかに身をうずめ、流されていくような感覚を持つことができる。

もしかしたら、それは「つかれていない」と掴み取ることのできないある種の感覚かもしれません。

 意図していたわけではないですが、この感覚こそが、巡礼のなかに「歩いて疲れる行程をつくる」という要素を組み入れるという基本スタンスをはじめるきっかけにもなっているような気がします。

でも、やはりつかれるとみなさんの会話は減っていくので、僕としても申し訳なく重い気持ちももちろんあるのですが。

  ……では、長くなりましたので、第1回目のロケハン日記はこれで終了します。こんな感じでいいのかな、と思いながら、2回目も読んでくださいね。

 

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 *ルートには、復元された法円坂倉庫群も。