聖地巡礼 峠茶屋

衰微した日本の霊性を再生賦活させる内田樹先生・釈徹宗先生による「聖地巡礼ツアー」に参加している巡礼部および関係者によるブログ。ロケハンや取材時の感想などを随時お伝えしていきます。

No.17 橋の向こう側の鳥居

さて、管理人です。またまた更新が遅くなってしまいました。申し訳ありません……って最近お詫びばかりですね。でも、投稿締め切りは、5月末日に迫っております。投稿をお考えの方はお急ぎくださいね! ということで、久しぶりの更新は、amicoholicさんからの投稿です。誰もが知っている光景のなかには、人それぞれの「物語」があるものだと思います。

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橋の向こう側の鳥居(amicoholic)

 物心ついて初めての聖地旅行は、広島県・宮島の厳島神社だった。父が海べりで記念写真を撮ってくれる際、鹿にもっと寄って寄ってと言われて寄っていたら、気づくとおニューのワンピースを鹿にかじられて離してもらえず大騒ぎ。やっと離してもらえたものの、ワンピースに穴が開いてしまったことが、もはや神とも呼べるインパクトある出来事だったが、それと張るくらい、海の中に佇む赤い鳥居は、齢8歳の私でさえも、神々しいオーラを感じた。鳥居の近くに建てられた能舞台を結ぶ廊下は、「あの世」と「この世」を繋ぐものだという、子どもにとってはあまり興味が湧かない、つい流してしまいがちな母親の解説も何となく覚えている。

 その後も、伊勢神宮高野山當麻寺日光東照宮…などなど、私は父と巡った。伊勢神宮では、張り詰めるような光が筋となって目に見えるようなオーラを浴び、高野山では、何度も何度も後ろに何か気配を感じて振り返った。當麻寺では、古来、大和の人々が二上山の向こうに極楽浄土を幻視してきた、その「極楽への入り口」を目の当たりにし、日光東照宮では、不思議なことに高野山で感じた時と似通った気配を「眠り猫」の辺りで感じた。そして、その似通った気配を感じた数時間後の、東京へ帰る列車の中で、父とは、思春期以来の大喧嘩をした。東京に着いてからも喧嘩は続き、銀座のワインバーでも平行線をたどり、それでも終わらず険悪な状態のまま私のマンションに父は泊まった。確か、当時付き合っていた彼氏のことだったような気がするが、今となっては、それは不確かで、「眠り猫」の辺りで感じた気配のほうが強く記憶に残っている。

 5年前に父が脳梗塞で倒れた。一時はICUで意識不明の状態だったが、母が企てたスパルタリハビリ入院プランのおかげで、車椅子と人の介助があれば、何とか旅行ができるまでに回復した。

 父の喜寿の祝いにどこか連れて行ってあげたいな。そう思って父との旅の思い出を振り返ると、聖地が多いということに改めて気づいた。そういえば、倒れる前は屋久島に行きたいなどと言っていた。

 屋久島は遠すぎるので断念し、次に浮かんだのは、8歳の時に連れて行ってもらった宮島の厳島神社だった。近頃では、リハビリのデイケアにさえ行くのを億劫がる父だったが、折り畳み式の車いすを買ったので宮島に行こうと提案すると二つ返事で快諾してくれた。

 もう少し前は、私に迷惑をかけることにさえ躊躇した父だったが、今は子どもみたいに気を遣わなくなっていた。

 30年前と同じ夏真っ盛りの宮島は、観光客と鹿であふれていた。赤い鳥居も鹿のうろつき加減も何も変わらないけど、私の横に夫と娘がいること、私と彼らが交互で父が乗る車椅子を押していることは、「THE30年」の証であった。

 鳥居の近くの海に浮かぶ能舞台に差し掛かった時、デジャブかなというタイミングで、白髪が増えて背が少し小さくなった母が、

「あの手間にある舞台はこの世で、後ろの方にある楽屋は彼岸で、あの世を表しとるんよ。この世とあの世を繋ぐのが橋懸で、此岸と悲願の通路なんよ」

と言っている。

「聞いた、聞いた! それも30年前にね!」

と突っ込みたい衝動を押さえ、敢えて老母には何も触れずに、「へ~」と答え、その解説を頭の中でリフレインさせる。あの世とこの世。

 父は、興味がないようでいて、実は浮世離れした哲学的なことを考えているんじゃないかと思わせる脳梗塞の後遺症“高次機能障害”ならではの無表情で能舞台の彼方を見つめている。そこには、橋の向こう側があり、そのさらに先には赤い鳥居が海に浮かんでいる。

 まだまだ行かないでほしいな、あの橋の向こうに。

 一緒にいるのに、どことなく遠くにいるような父の顔つきやしぐさに、すぐそばで車いすを押す私は願わずにはいられない。

Profile: amicoholic

1975年岡山市生まれ。18歳~22歳を関西に拠点を移したことを機に、神戸・京都・奈良・和歌山・三重などコンパクトな旅をする環境に恵まれ、気付けば聖地好きに。23歳で東京に移り住んでからは、関東圏の聖地にも興味津々。と言いつつ、近年訪れた中で特に好きな聖地は沖縄の斎場御嶽(せいふぁーうたき)。

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同じ場所に行くからこそ、自分が置かれた環境の違いや感じ方の違いに気づくことってありますよね? 何かamicoholicが見えている景色が目の前に見えるような気がしました。投稿、ありがとうございました! ではでは、「私だけの聖地」、まだまだ続きますよ!(管)