聖地巡礼 峠茶屋

衰微した日本の霊性を再生賦活させる内田樹先生・釈徹宗先生による「聖地巡礼ツアー」に参加している巡礼部および関係者によるブログ。ロケハンや取材時の感想などを随時お伝えしていきます。

どこに行ったの? 聖地巡礼(2)

こんにちは、管理人です。

さて、先週から更新をはじめた内田先生・釈先生の『聖地巡礼ビギニング』発売記念対談(2013年9月18日・朝日カルチャーセンター中之島教室)の2回目です。釈先生の対談話がめちゃくちゃおもしろいですよ! では、どうぞ!

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○クジラの戒名
釈  この前、お坊さんの会合に呼ばれて、山口県長門市の仙崎に行ったんです。金子みすゞが生まれた場所で、かつては捕鯨で大変賑わっていました。そこでは、捕ったクジラに一匹一匹にちゃんと戒名を付けて法要していたみたいです。みすゞには、「鯨法会」というタイトルの詩もあります。
内田 へえ。
釈  クジラのお墓は日本全国で50数か所かあるそうです。その仙崎では、クジラを捕ってお腹を裂いた際に、中から胎児が出てきた場合は、布にちゃんとくるんでその胎児のお墓もつくる。仙崎にはクジラの胎児のお墓が80近くあるんです。胎児ですから、海に戻しても生きられないですからね。
内田 お腹を切った時点ではまだ生きている。
釈 そうなんでしょうね。だからこそ仙崎の人々の思いも複雑なところがあったのでしょう。でも、胎児は母体から離れて生きていくことは無理なので埋葬する。そこに行くと、漁師の人たちがいかに痛みを感じながら魚やクジラを捕っていたのかをビリビリと感じる。すると、あの金子みすゞの詩が、ものすごいリアルに響いてくるわけです。「朝焼け小焼けだ大漁だ。大羽鰮の大漁だ。浜は祭のようだけど、海の中では何万の鰮のお弔いするだろう」……。もう、この言葉の群が、ど~んとくる。
内田 なるほど。
釈  クラクラするぐらいです。その土地に根づく信心・信仰がもつ振動を身体で実感できました。

○成り立たない対談
釈 それで、その金子みすゞでクラクラになって大阪に帰ってきたあと、対談したのがマンガ家の西原理恵子さん。一転して「欲望肯定系」といいますか(笑)。家族とお金の話がさく裂する(笑)。
内田 いったいどういう企画だったんですか。
釈  『FOLE』っていうみずほ総研が発行している月刊誌で、毎月、対談のホストをしているんです。とても楽しいお仕事なのですが、どうも最近、そのページの担当者さん達が、わざと「対談のむずかしそうな人」ばかりを選ぶんですよ。私が困惑するのをねらっている気がしますね。
 この前お会いした人なんか、すごい変人でしたよ。大阪大学石黒浩さんなんですが。
内田 あ、ロボットの人。
釈  はい、アンドロイドの研究者。世界の天才100人に選ばれた鬼才の人です。我々の友人である大阪大学の仲野徹先生に「この前、石黒先生と対談したんですよ」って話したら、「えっ、それはタイヘンだったでしょ」と言われました。実際、タイヘンでした。だって、こちらの話をまったく聞かないんですから(笑)。
 しかも、話が盛り上がってくると、私が住職している如来寺の御本尊をアンドロイドにさせてくれって言い出すんですよ。何回もお断わりするのですが、なかなかあきらめないんです。本気なんです。
内田 本尊をアンドロイドにしたい……って、どういうことなんですか?
釈  アンドロイドの阿弥陀如来をつくって、動かしたいって言う。
内田 いまの阿弥陀如来はちょっと引退してもらって。動くやつを自分がつくるから、と。
釈  本気で思っているんですよ!
内田 動く阿弥陀如来をご本尊にして、何をしようっていうんですか!
釈  そうしたら、もっと人が集まるというんです。
内田 それは集まりますよ。集まるけど、意味が違うでしょう(笑)。

○アンドロイドで講演する
釈  その対談のなかで、夫婦喧嘩の話になったんです。石黒先生はどんな夫婦喧嘩をするかというと、「女房にしゃべらせるだけしゃべらせる。それで一通り終わったところで、女房がしゃべった言葉をホワイトボードに全部書いて、論破するんです」。「ほぉ~、それでうまくおさまりますか?」、「いや、さらに女房は激怒します」って(笑)。
内田 愉快な人ですねえ。
釈  ちなみに自分とそっくりのアンドロイドをつくっているんです、40歳くらいのときに。
内田 自分のアンドロイド?
釈  もうそっくりなんですよ、石黒先生に。それで、講演がバッティングしたときは、一方を自分が行って、一方はアンドロイドに行かせる。
内田 え!音声を仕込んであるんですか。
釈  いや、アンドロイドは遠隔操作で自分がしゃべる。質疑応答も遠隔操作でご本人がやるんです。そうすると、離れた二か所での講演・質疑応答が可能です。見た目もまったく変わらないので、「僕が行っているのと一緒でしょ」って言っていました。ちなみにその40歳でつくった自分のアンドロイドに似せて、ずっと「自分」の整形をしているそうです。アンドロイドは変わりませんが、ご本人は加齢していく。そうなると似なくなってくる。アンドロイドに自分を合わせているんです。
内田 なんだかすごい人ですねえ。
釈  ねっ、すごい変人でしょ(笑)。
内田 でも、話は面白いですねえ。
釈  会話は弾みましたよ。先生の秘書の人も、「こんなに会話が弾んだのは初めて見ました」って。私、わりと変人のお相手は得意なのかもしれません。

○アンドロイドは歩けない
釈 そうそう、話は変わりますが、二足歩行のロボットって、人間とはまったく別の理屈で歩いているらしいですよ。だから、現在でも、人間の理屈で歩けるロボットは作れていないそうです。アンドロイドも、まだ歩くことはできない。ずっと座っています。ちなみに、人間の脳と同じ働きをするメカをつくるには、発電所1個分くらい、500万キロワットの電力が必要なんですって
内田 へえー。
釈  だから、少なくとも自分が生きている間には、ほんとうの意味で人間に近い、人間の心を持ったアンドロイドはできないだろう、っておっしゃっていました。人間の脳は、1キロワットとか、それくらいで動きますから。
内田 そんな微弱な電流で動いているんだ。
釈 人間は、あっちこっちで「歪み」や「ひずみ」を起こしている。それをエネルギーに変換して、脳を動かしているそうです。
内田 面白いですねえ。

○人間が四足歩行を選んだ理由
内田 話のついでに直立歩行の話をしていいですか? 赤ちゃんてハイハイで四足歩行しますよね。このハイハイの仕方は別に文化的な差異ってないんです。定型がある。世界中のどこの赤ちゃんも同じような仕方でハイハイする。でも直立歩行はすべての社会集団ごとに歩き方が違うんです。一歩歩けば、それだけで自分がどこの集団に属するのかわかるように、示差的に構築された身体運用技術なんです。
 村上春樹さんのエッセイにこんな話があるんです。村上さんがイタリア人の友人に連れられて、彼の故郷の村に行ったときの話。そのイタリア人は自分の村から二キロしか離れていない隣の村のことを「中国(キノ)」と呼んでいる。「あそこの村の人たちは歩き方が変だから」。世界中どこに行っても、あの村の出身者はひとめでわかるって。
 そもそも、直立歩行って理に適っていないんですよね。健康のためには四つ足歩行の方がいいに決まっている。人間のさまざまな疾患、腰痛とか痔って、直立歩行するせいですからね。
 では、なぜ人間は二足歩行を選んだのか。これは僕の仮説なんですが、それは二足歩行には「正しい歩き方」が存在しないからなんです。定型がない。そもそも不自然な歩行法だから、必ずバランスを崩す。バランスを崩して、それを補正するためにまた違う崩れ方をする。その繰り返しですよね。システムが絶えず壊れ続けることで成立している歩行法なわけですから、標準的、合理的な歩き方というのが存在するはずがない。これがシステムを作り出すというのなら、いちばん効率的で、合理的なやり方が存在するはずですけれど、そうじゃない。システムを崩す仕方ですから、定型になりようがない。だからこそ、「歩き方」はすべての人間の自由に委ねられた。そして人間は健康より自由を選んだ。そういうことだと思うんです。
 前に釈先生と名越康文先生と鼎談したとき、名越先生がご自分の赤ちゃんのハイハイのときの足の裏がどれほどにみごとに動いているか、詳しく話してくれましたよね。そんなふうに効率的に四足歩行ができるにもかかわらず、とにかく赤ちゃんは立ち上がりたがる。まく立てないと悔しくて号泣する。なんで赤ちゃんがそんなに立ちたがるのか。より効率的な動きを求めてではないですよね。
釈  ハイハイで、すごく上手く動いているにもかかわらず、ですね。
内田 赤ちゃんは運動性能を上げたいわけじゃない。身体運用上の自由がほしいんです。自分で自由に歩き方を創造できるという身体運用上の自由を求めて泣いているわけですよ。
 これ実は能の歩行の稽古をしているときにわかったんです。中世日本人の歩行法がなぜ現代日本人にとってはこれほどむずかしいのか。昔も今も、効率的に身体を使いたいという動機に違いはないはずなのに、これほどまでに身体の使い方が違う。なぜか。あらゆる人間は試行錯誤の末に、すべての人間にとってもっとも合理的な身体の単一の使い方に帰着するだろうと僕たちは漠然と思い込んでいますけれど、よく考えたら、そんなはずはないんです。逆なんです。人間が求めているのは誰にとっても合理的な標準的な身体運用の正則ではなくて、無数の運動の選択肢のうちからひとつを選ぶことのできる自由なんです。中世の日本人は彼らの気に入ったひとつの歩き方を選択し、現代人は別のひとつの歩き方を選択している。その違いがあるだけなんです。どちらかが正しくて、どちらかが間違っているという話じゃないんです。(続)

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次回からは、いよいよこれまでの巡礼を振り返ります。6月中旬更新予定です。お楽しみに!