聖地巡礼 峠茶屋

衰微した日本の霊性を再生賦活させる内田樹先生・釈徹宗先生による「聖地巡礼ツアー」に参加している巡礼部および関係者によるブログ。ロケハンや取材時の感想などを随時お伝えしていきます。

内田先生の「あとがき」公開!

 さて、今日は巡礼部のみなさんや管理人が参加させていただいている『聖地巡礼ライジング 熊野紀行』の発売日です! ドキドキ、ワクワクしております。さて、先週の釈先生の「まえがき」に続いて、今回は内田先生のご厚意で、「あとがき」を掲載させていただきます。ただただ、とにかく多くの方に、最後まで読んでいただきたい文章です。

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あとがき──内田樹
 みなさん、こんにちは。内田樹です。『聖地巡礼 ライジング』をお買い上げありがとうございました。
聖地巡礼」ツァーは熊野編の後も、「隠れキリシタン」の跡を訪ねる長崎の旅がありました。今年はこれから佐渡を訪れて、親鸞世阿弥の足跡を辿ります。その後の旅程はまだ未定ですけれども、個人的には修験道羽黒三山を経由して、恐山でとりあえず国内編は「あがり」という構想を抱いております。国東半島とか、天川とか、訪れたい聖地はまだたくさんあるんですけれど、それはまた第二次「聖地巡礼」というような企画があったときに検討することにします。
 聖地巡礼の旅を重ねて改めて感じることは、日本の山河は聖地に満ちているということです。当たり前ですね。でも、もうひとつ感じるのは、それらの聖地は破壊されたり、穢されたりすることはあるけれど、「新しい聖地」がそれに付け加わることはほとんどないということです。現代人はもう新たな聖地を発見する力も、作り出す力も失っている。これはとても重い事実だと思います。
 大阪上町台地縦走の旅からこの企画ははじまりましたけれど、そのときに釈先生と二人で繰り返し嘆いたのは、「大地の持つ豊かな霊力に祝聖された空間は、そこに生きる人たちの生きる力を賦活する」という自明のことを現代人は忘れてしまっているということです。現代人は自分がある場所に立ったときに「他の場所とは違う感じがする」ということ自体を感じなくなっている。彼らが土地について求めるのは地価であったり、最寄り駅からの距離であったり、日照であったり、騒音であったり、そういう「商品としての土地」の価値についての情報であって、その場所が発信する微かな「シグナル」には何の興味も示そうとしない。
 僕が久しく「師匠」として崇敬してきた大瀧詠一さん(惜しくも先年亡くなりました)を福生のスタジオにお訪ねしたときに、大瀧さんがこんな話をしてくれました。
「スタジオに入って、まわりを見渡して、最初に『すごいですね。一体レコード何枚あるんですか?』と訊く人間とはそのあと口をきく気がしない」
 たしかに大瀧さんのスタジオは膨大なレコードコレクション、蔵書、映像資料で埋め尽くされています。半世紀にわたる超人的な努力の成果ですから、それはすごいものです。でも、そのときにまず「レコードの枚数」を訊ねた人たちは、その答えを得たときに(例えば自分自身のレコードコレクションとの枚数を比較して)、大瀧さんの「スケール」を推し量ろうとしたのだと思います。それによって大瀧さんがしている理解を絶した事業の意味を「自分が理解できる範囲」に縮減しようとした。
 それを大瀧さんは咎めたのだと思います。まず「声を失う」ということがいちばんまともな反応だったのではないか、僕はそう思います。
 でも、現代人は聖地に立ったときに、まさに「レコードの枚数を尋ねる」ようなことをしている。もし神社仏閣や依り代や霊地を前にして「この建物は築何年ですか?」「毎年何万人くらい観光客が来ますか?」「固定資産税はいくらですか?」という質問がまず出てくるような人には聖地が発信している霊的な「シグナル」はまったく届いていないということです。仮に届いていたとしても、遮断している。そんなシグナルを聴き取っても、世俗の用事には何の関係もないからです。
 前にも書いたことですけれど、都市開発で巨大なショッピングモールや集合住宅が次々と建てられていますけれど、そういう建物の中に寺社を勧請しようとするデベロッパーはまずいません。そもそも彼らは「勧請」という日本語の読み方も意味も知らないのでしょう。
「かんじょう」というのは「神仏の分霊を別の所に移して祀ること」です。でも、現代でも例外があります。それは劇場の楽屋です。楽屋だけは、どんなハイパーモダンな建築家が設計しようと神社が勧請されています。楽屋入り口の横には神棚が祀ってある。それは劇場が発生的には「この世ならざるもの」が来臨する場だからであり、俳優が「この世ならざるもの」が憑依する依り代だからです。そのようなものは「存在しない」といくら建築家や館主が言い立てても、「勧請を止めたせいで、スタッフが奈落に落ちて死んだり、照明が落ちてきて俳優がけがをしたり、劇場が火事になって客に死人が出たら、あなたたちはどう責任を取るのか?」という俳優やスタッフたちの必死さには抗しきれない。
 地鎮祭もそうです。なんであんな虚礼に出費しなければいけないのか、施主には意味がわからない。でも、地鎮祭をしないと工務店のスタッフは現場に入りません。地霊を鎮めて、事故が起きないように祈願するというのは人類史のほとんど最古の層に属する儀礼です。
「興」という漢字がありますけれど、白川静先生によると、これは「儀礼の時、地に酒を注いで、地霊を呼び起こし、慰撫する」さまを描いた象形文字だそうです。古代中国にはじまった呪鎮儀礼がいまでも行なわれている。
 劇場楽屋への稲荷の勧請にしても、地鎮祭にしても、太古的な起源を持つ儀礼はいまでもある種の霊的感受性(というのが気になる人は「直感」と言い換えてもらってもいいです)の発動が強く要請される職業ではいまも行なわれています。合理的な根拠をいくら羅列しても、これらの職業人がこの儀礼を止めることはありません。それが集団的に伝えられてきた経験知だからです。
 僕の道場である凱風館では、正面に合気道開祖植芝盛平先生の肖像写真を置き、神棚には地元の元住吉神社祭神を祀り、二代道主植芝吉祥丸先生の「合気」の文字と多田宏先生の「風雲自在」の文字を扁額にして南北の長押に掲げています。それは武道の道場もまた「この世ならざるもの」の来臨が要請される場所だからです。鈴木大拙が「大地の霊」と呼んだ自然の生命力、野性のエネルギーを受け容れ、それを整えられた身体によって制御する技術、それが武道です。僕はそういうふうに理解しています。だから、道場は霊的に浄化された場所でなければならない。そんなものには何の意味もないと思う人もいるでしょう。人間が動き回れる空間があれば、それで十分だと思っている人は、道場を使っていない時間にはカラオケ教室にでも、こども体操教室にでも貸し出したらどうかというようなことを考えつくのかもしれません。でも、「そういうこと」をすると道場の空気が変わってしまう。稽古できる状態に戻すために、それなりの儀礼をしないとはじまらない。
 合気道の稽古をした後、道場の扉を閉めます。それから次の稽古まで二十四時間無人ということがあります。一日経って道場の扉を開くと、道場内の空気が粒立ち、つややかになっていて、ひんやりと肌にしみ入るのがわかる。二十四時間誰も立ち入っていないだけで、道場内に何の変化も起きるはずがないのに、はっきりと「空気が落ち着いてきている」ことがわかります。わかる人にはわかるし、わからない人にはわからない。でも、僕はその違いがわかる人になってほしくて道場を開き、門人を取っているわけです。
 そういう霊的感受性の洗練ということを、現代日本ではまったく組織的に訓練しておりません。家庭でもしていないし、学校でもしていない、職業訓練としてもしていない。でも、この「微かなシグナルの変化を感知できる能力」はすべての社会的能力の基盤です。目に見えない、耳に聞こえない変化を「感じ取れる」力によって人間はさまざまなリスクを事前に回避し、デリケートなコミュニケーションを立ち上げることができるからです。「肝胆相照らす」も「以心伝心」も「阿吽の呼吸」も「啐啄の機」も、すべて他者との間に精度の高い意思疎通が成り立っている状を示した言葉です。いずれもいわば社会関係を円滑で快適なものにする技能です。その技能開発のためにどのような訓練プログラムが有効であるかについても膨大な経験知が現にある。にもかかわらず、霊的感受性を高める訓練はどこでも組織的には行なわれていない。そのような劣悪な霊的状況に現代日本人は置かれている。
 釈先生と僕は非力ながら、そのような状況をなんとかしようとしてこのプロジェクトを細々と続けているわけなのであります。この本を読んだ方たちがみずから聖地に足を運んで、ご自身の身体を使って「この世ならざるもの」の切迫を感じ取ってくださることを重ねて祈念します。
 最後になりましたが、この冒険的な企画を支えてくださった東京書籍の岡本知之さんはじめスタッフのみなさん、凱風館巡礼部の前田真里部長、青木真兵副部長ご両人はじめ巡礼部員の皆さんにお礼申し上げます。何よりも宗教の本質を探るこの愉快な旅の変わることのない同行者である釈徹宗先生のご友誼に重ねて感謝の気持ちを表したいと思います。