聖地巡礼 峠茶屋

衰微した日本の霊性を再生賦活させる内田樹先生・釈徹宗先生による「聖地巡礼ツアー」に参加している巡礼部および関係者によるブログ。ロケハンや取材時の感想などを随時お伝えしていきます。

聖地巡礼フェス 第3回(植島啓司先生)

 さて、前代未聞の「聖地巡礼フェス」レポートの第3回、ラストを飾るのは、聖地研究の第一人者である植島啓司先生です。管理人は植島先生の本が大好きで、ご講演を拝聴できるのをとても楽しみにしておりました。
 今回はとくに「あぶない」話が連発したため、なかなかご報告できない事柄もありますが(笑)、ぜひぜひレポートをご堪能いただければと思います。今回は掲載しておりませんが、鼎談の最後には、髙島先生にも加わっていただいております!

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第1部 「龍穴と聖地」 ~植島啓司先生 ご講演~

 なんか寺子屋みたいですね。さて今日の発表の原点となるのは、バックミンスター・フラーの『宇宙船地球号』という本です。
 それまで、アジアとアメリカのあいだの人類の大移動は、アリューシャン列島からアラスカへと陸路でつながっていた時代に行なわれたというのが定説でしたが、それよりはるか以前に互いに海で交流があったということヘイエルダールがまず証明し、そしてフラーが同書で世界の主要な文明はすでに航海によって結ばれていた、つまりかつての交通はほとんど海路が中心だった、ということを提起しました。ちなみに、最初に文明が発達した場所はパレスチナやエジプトなどのメソポタミア文明ではない、と提起したのもフラーです。
 また、彼特有のダイマクションマップによると、アジアは地球上で5パーセントしか占めていないのに、人口の54パーセントが密集している。ここから遠ざかるほどに人口密度が小さくなる。つまりアジアはもともと人口圧力が強くて、人々が古代から住んだ場所にあたるんじゃないか、ということについてもフラーは『流体地理学』という論文で提示しています。
 東南アジアは、昔はかなり大きい大陸でそれが沈んでバラバラの細かい島になったことは考古学ではよく知られていますが、フラーはそこに住んでいた人が分散して分かれて北上していった4つの流れが人類最初の移動だと考えました。だから東アフリカが人類の大本ではない、という危ないことを言ったわけです。この流れをずっと考えていると、柳田國男の『海上の道』などの記憶とどこかで結びついているのではと思ったりもします。
 僕は調査をしていて倭人に興味を持っているのですが、「倭人」とは7世紀くらいまでは、やはり南からあがってきて、中国の江南地方から朝鮮半島、そしていまの日本列島に住み着いた人々のことを指しています。つまり倭人は日本人の原型ということではなく、「海の民」なのです。漁労技術が異常に発達していたことは『魏志倭人伝』にも書かれていますし、『漢書地理誌』にも書かれています。その中の一部が、日本列島を統一した人々と重なっていることは言えるのではないかと思います。そういった意味で、折口信夫が「『記紀』の回りには海の匂いが濃厚にまとわりついている」というのは、神武天皇が海の神様の子孫であることを指しているのではないでしょうか。
 さて、日本の聖地は水分とか水源に近い場所に聖地があるということは知られていますが、と同時に、龍穴に対する信仰がひとつのエッセンスになっている。そして、海洋民族である龍神をトーテムとする人々がいわゆる「水の女(みずのめ)」と交わることによってこの世界を新たに生み出すという行事が日本の宗教儀礼の根底にあるのではないか、とも考えています。
 折口に『水の女』という有名な論文がありますが、水の女天皇即位式である大嘗祭天皇が即位の霊のあと初めて行なう新嘗祭)登場します。神様と水の女が交わることによって、天皇の霊が生まれるという形で、天皇が替わるごとに繰り返されるわけです。行事のエッセンスや行なわれる場所の原型を追いかけていくと、日本の宗教で展開したいろいろなバリエーションを読み解いていくことができるわけです。

 第2部 鼎談  ~植島啓司先生・内田樹先生・〈司会〉釈徹宗先生~

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 2つの世界をブリッジする

 さて、植島先生の時代を超えた大きなスケールのお話を聞いた内田・釈両先生は興味津々です。
 まず、釈先生が「倭人の原初的な信仰としてどのような信仰が考えられるのか」と植島先生に尋ねます。植島先生の答えは、「入れ墨がいちばん印象深い。中国ではとくに異様な習俗として映っただろう」というものでした。
 内田先生もそれに同意して、「漁労もそうかもしれない。そしてたとえば入れ墨で魚の鱗を模すといったことで、魚類と中間的なもの、2つの世界のインターフェイスとなる部分をブリッジする。武道的には自然のほうに人間を似せていくというのは、割と基本的なことではないか」と続けます。
 一方で、釈先生は逆の視点を提示。「原初的な生活をしている人で、ほとんど丸裸で暮らしていても、何も隠せていないのに、ひもを1本巻いていたりする。これが最後の人間と自然との境界線を示している」という違った側面を指摘します。 

こもる

 熊野編で話題になった「こもる」ということについては、植島先生は「祈りなどよりも先に、なによりも〈こもる〉という行為があった。おそらくこれが宗教的行為の原型だと思う」と、講演の龍穴に対する信仰と関連して明言します。龍穴については「避難所」としての側面もあるそうです。
 内田先生は修験道の例をあげ、「とにかく山道を歩いて滝行をして、あとはひたすらこもる。そこで焚火をして煙をモクモクたいて、そこで息もせずに耐え続けるのが初心者用のクライマックスらしい」と述べて、原初の宗教儀礼の原型をとどめている例ではないか、と述べます。
 続けて釈先生が「その割には日本列島の聖地や霊場と呼ばれているところで、洞窟のようなイメージはない。そこでは宗教施設がないことと関連しているからかもしれない」と言うと、植島先生は「宗教施設は社会的な意味は持つが、便宜的な施設であるだけで、その場所自体が特別な意味を持つわけではない」と話しました。

紀伊半島

 さてその後は、第2回目の髙島先生も加わって、鼎談の熱も加速していきます。かなり「あぶない」話でも盛り上がりました。掲載できる話の一部をレポートさせていただくと(笑)、やはり植島先生は紀伊半島の重要性を説明します。「日本の聖地のほとんど重要なところは紀伊半島にある。ほかの場所は紀伊半島と比べると散漫な感じがする」。
 釈先生も「そんな感じがする」と同意。植島先生は「中央構造線上に伊勢神宮諏訪大社などがあるように、自分たちの立ち位置がいつも意識されるようなところが、信仰が生まれる条件ではないか」と聖地の核心について言及しました。
 さて、そんな日本、世界各地の聖地をめぐってきた植島先生に、釈先生が「ここは行ったほうがいい場所とかありますか?」と禁断!の質問をします。答えは「対馬ですかね。対馬は日本の元の形、大陸とのつながり、いろいろなことが見えてくるんですよ」と答えます。すると内田先生は「なるほど。対馬合気道の多田先生のご出身なんです。よし、対馬にしよう。行きましょう」と即答! てっきり佐渡と思っていた管理人の心の声を文字にするとこんな感じでしょうか。
「がび~ん」(笑)
 そして、慈悲に満ちた、しかし、くすっと笑っているような釈先生の目と、管理人の目があったのでした……。
・・・
 さて、「聖地巡礼フェス」のレポート、いかがでしたでしょうか。最後は衝撃の結末でしたが(笑)、対馬って……楽しそうですよね。このように「次がどうか予測できない」のが、この「聖地巡礼」の楽しいところでもあります。さてさて、今後の展開は? 引き続き、随時みなさまにレポートしていければと思います!(管)