聖地巡礼 峠茶屋

衰微した日本の霊性を再生賦活させる内田樹先生・釈徹宗先生による「聖地巡礼ツアー」に参加している巡礼部および関係者によるブログ。ロケハンや取材時の感想などを随時お伝えしていきます。

No.16 スターリングブリッジ

 いままで以上に更新に間があいてしまいました。申し訳ありません。管理人です。
 さてさて、みなさんからいただいた「わたしだけの聖地」、久しぶりの更新です! 小嶋さんにスコットランドの「聖地」についてご投稿いただきました。もう、国名を聞くだけで管理人は興味津々です。
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スターリングブリッジ(小嶋千尋)

 現在、娘を保育園に預け、都内で働きながら慌ただしい日々を送る私ですが、14年ほど前にはスコットランドスターリングという小さな街で、留学生として厳しくものんびりした時間を過ごしていました。
 市街地にある寮から郊外のキャンパスまでの往復は、通常バスで片道20分くらい。歩くと50分くらいはかかったでしょうか。私は、節約とウォーキングを兼ね、よほどの悪天候以外は徒歩で通学していました。その道中必ず通るのが、古い石の橋、スターリングブリッジでした。
 アーチ構造のこの橋は、角の取れたごつい石畳が足に心地よく、その古さゆえ歩行者専用とされており、街と自然の景観に絶妙に溶け込んでいることから、私の好きな場所のひとつになっていきました。

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(出典:Wikipedia)


 ある日のこと。クラスでのディスカッションの最中に、一人のクラスメイトが、私の稚拙な英語表現を指摘しました。その直後の休憩時間に、別のクラスメイトが私の目の前で、私の英語を指摘した彼に対して、私への謝罪を要求するということがありました。
 その日の帰り道、私は英語の鍛錬を怠っていたこれまでの自身の甘さや不甲斐なさ、明日からの学生生活を、ほとんど呪うような気持ちで鬱々と歩いていました。
 すっかり日も落ちた中、いつもの橋に差し掛かると、下を流れる川の音が耳に入りました。欄干の向こうに目をやると夜の川面が遠い街灯りを反映してゆらゆら静かに揺れています。
  その時ふと、この橋がかつてスコットランド軍vsイングランド軍の激戦の舞台だったことを思い出しました。(イギリスでは)有名なスターリングブリッジの戦いです。
 1297年にウィリアム・ウォレスとアンドリュー・マリー率いるスコットランド軍が、当時この地を統治していたイングランド軍を打ち破った戦いで、この橋はある意味、スコットランド独立戦争における勝利のシンボルでした。

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(出典:Wikipedia)

 甲冑の金属音や兵士や馬の息遣いを思い浮かべながら、静まり返った橋を一人歩いていると、急に、今日自分に起きたことが、教室という小さい箱の中で起きた、とるに足らないことに思えてきました。なんとなくですが、『たったそれだけのことだ』と開き直れてきたのです。
 いま振り返ると、クラスでの出来事は本当に些細なことであり、よくある苦い思い出のひとつに過ぎないことでした。しかし、そのときは深刻の最中だったので、小箱の中の小さな出来事、という発想が少し新鮮で、なんだか救われるような気持ちになったのです。同時に今ここで感じた感覚の方が、日常の延長線上にある思考よりもおそらく大切なことなのだと、根拠はありませんがそう思えたのです。この感覚を忘れないでおこうと思いました。
 それ以降、橋を渡るときにはいつも、心の中の指先確認をするような心持ちで歩くようになりました。前方よし私もよし、腹の底からガッツが湧いてくる感じです。
 靴底の石の感触、ひんやり湿った欄干、鼻腔を刺す冬の空気、夏の乾いた日差し、遠方に聳えるウォレスのモニュメント、背後から街を見下ろすスターリング城。ちょっと思い浮かべれば、そのどれもが、橋の上をてくてく歩いていたときの自分そのまま、生々しく手足や五感に蘇ってくるような気がします。
 と、ここまで書いて、全く関係ない話なのですが、どうしても頭に浮かんでしまう映画のワンシーンがあります。
 映画『ノッティングヒルの恋人』の中で、元カノ(ジュリア・ロバーツ)への未練を断ち切れない主人公(ヒュー・グラント)が、ノッティングヒルのマーケットをひたすら歩くシーンです。カメラはヒュー・グラントの歩く姿そのまま、路上や天候の目まぐるしい変化を捉えながら、春夏秋冬の時の流れをカットなしで映し出すという、少しトリッキーな演出です。
 主人公の変わらぬ頑なさと対象的に、多彩な表情を見せる街の風景。いっぽう見方を変えると、街はあいも変わらずそこに在り、そこを歩く主人公の心情だけが、時の流れの分だけ、悲しみ、寂寥感、諦めと刻々と変化しているともみて取れます。
 主人公と街との間で繰り広げられる見えないせめぎ合いが、そのシーンを印象深いものにし、映画の舞台であるノッティングヒルをノッティングヒルたらしめているのです。
 そこを行き交う人の思いや行動が反芻されることによって、長い年月かけて醸成されている、ということに敬意を払うこと。その姿勢が、聖地を語ろうとするときに、とても大事なのではないかとこの文章を書いていて気づきました(!)。
 少なくともスターリングブリッジは、私にとっては繰り返し歩いて様々なことを感じた場所であり、これからもたまに思いを馳せながら、その時々の自分の心の持ち様を確認したくなる大切な場所です。こっそり心の中とこの投稿の中で『私の聖地』と呼ばせていただきます。


Profile:小嶋千尋(おじま ちひろ):

横浜市在住の42歳。シングルモルトが好きなこととスコットランド留学は関係ありません。75歳になる父は四国巡礼を一人で完遂しました。写真は見せてもらったけど、霊的経験は話ししていないので、今度酒飲みながら聞いてみようと思います。
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小嶋さんの「心の中の指先確認」、そんな気持ちを支えたのは、昔からの風景なんですね。管理人も少しですが留学経験があるので、なにか「腹の底からのガッツ」はわかる気がします。素敵な文章、ありがとうございました! ではでは、「私だけの聖地」、まだまだ続きますよ~。(管)