聖地巡礼 峠茶屋

衰微した日本の霊性を再生賦活させる内田樹先生・釈徹宗先生による「聖地巡礼ツアー」に参加している巡礼部および関係者によるブログ。ロケハンや取材時の感想などを随時お伝えしていきます。

No.13 膜の中の2分間

  さて先日、『聖地巡礼 ライジング:熊野紀行』の告知をさせていただきましたが、今回はその続きの「キリシタン編」で、長崎をご案内いただいたライターの下妻みどりさんに「私だけの聖地」をご投稿いただきました。長崎聞くと、管理人には、あの巡礼の夜の飲んだくれた宴会が思い出されます……。長崎をとことん愛する下妻さんの、その「中心部」に入った記録です! ぜひ、お読みください!
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膜の中の2分間(下妻みどり) 

 聖地は、厳密な空間。神社であれば、鳥居や注連縄などの結界が張られていますが、あれはハッタリでもなんでもないと思います。聖地度を測る「サーモグラフィー」みたいなものがあったら、本当の聖地は、それはそれはくっきりと色分けされるはずです。
 私にはずーっと行きたい「聖地」がありました。龍踊り(じゃおどり)やコッコデショで知られる長崎の秋の大祭「くんち」の踊り馬場、それも「10月7日の朝の諏訪神社」の時にです。くんちは3日間あって、いくつかの「本場所」や町中での「庭先回り」が行われるのですが、その年いちばん最初の奉納踊りは、それはそれは格別なもの。踊りや船や龍を奉納する踊町(おどりちょう)の皆さんに聞けば、そこに立つと頭は真っ白、日常生活ではまず感じることのない緊張や恍惚に包まれるというし、自分自身の気持ちの問題を越えて、その場に「なにかがいる/ある」という人もいます。小さいころからくんち好きな私にとっては、まさに「聖地」です。

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 ふだんお参りに行けば「こんなに狭いのか~」という、十数m四方の石畳の空間。これは西浜町の龍船(じゃぶね)の稽古です。数ある船の中でもいちばん大きくて、10mを越えています。向かって左側に作りかけの桟敷がありますが、当日はこれが踊り馬場をぐるりと取り囲みます。手前に人が座っているのは「長坂(ながさか)」という、本殿につながる階段で、つまり「神さま」とおなじ目線で見られる客席。桟敷は高い席で4人一升3万円ですが、ここはなんと無料です(昔は早い者勝ちでしたが、現在はハガキ応募の抽選です)。
 三方を囲む、何千もの人の視線と期待。その向こうにおわします神さまの気配。それがぎゅうーーーーーっと集まっているところ。いったいどれほど、ビリビリ激しいものなのでしょう。あぁ、入ってみたい。でも私は踊町の住民ではありません。ただ、子どものころには住んでいたことがあります。奉納踊りには、基本的に踊町の小学生はなんらかの形で出られる…つまり「聖地」に入ることができるのですが、くんちの出番は7年に1度。不運なことに、小学校の6年間がその「7年」にすっぽり入っていました。
 しかし、おすわの神さまがそんな私を不憫に思ってか、特別な席を用意してくださいました。何年間か地元のテレビ局で仕事をしていたことがあるのですが、ある年「中継の放送席のAD」のお役目が回ってきました!

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 これは数年前のテレビの画面(万屋町の『鯨の潮吹き』)ですが、向かって右側のちょっと下にある紅白の幕のところ。鯨を曳いている人の頭の上あたりが、私が座った放送席です。近い! 近いです! もちろんそれまで見た中ではいちばん近い場所です。「一升3万円」、それも徹夜で並ばないと買えないプラチナチケットレベルです。でも、高さも違うし「外側にいる感」は否めませんでした。
 しかししかし、またもやチャンスが巡ってきました。2004年、樺島町のコッコデショの番組を作ることになったのです!夏の稽古にもずっと通ったからか、本番の日には町の人が付けるリボンもいただき、報道関係者が入れないところまで行くことができました。

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 この写真で言えば、向かって右側の、鯨の納屋の屋根の下。白い着物の人たちがいる、あのあたりです。本当に目の前です。手を伸ばせば触れるはずのポジション。「一般人」としてはMAXだと思います。
 でも、やっぱりそれは「外側」でした。すぐそこに異様ともいえる熱気があるのはわかるのです。わかるのですが、近づけば近づいただけ、自分がいる場所が「外側」だということを、ありありと感じました。同時に、どんなに好きだろうが、それについて三日三晩語ろうが、番組を作ろうが、祭りというものは、やっているその人たちのものだということも、いやというほど思いました。
 目の前にあるが、自分が立っている「ここ」では、絶対にない。本当にそこに立たなければ、自分のものとしてそれをしなければ、聖地にも祭りにも、永遠にたどり着けない。
 いまさら踊町に住んだところで、私はもう子どもではありません。日本舞踊の名取や、検番の芸子衆なら出られる可能性はありますが、残念ながら扇のひとつも持ったことはありません。ましてや男でもないので、船も曳けず、コッコデショも担げません。この人生ではもう「聖地」に足を踏み入れることはないのだろうか…。
 しかししかししかし! 「念ずれば通ず」なのか、2度も用意した「特等席」に飽き足らない私に神さまが折れたのか、その4年後、縁あって2歳の息子が諏訪町の龍踊りに「ガネカミ唐人(『ガネ=カニ』のような髪型の唐人。唐子です)」として出してもらえることになりました。小さい子どもには付き添いが必要です。そう、息子の手を引くふりをして、ついに「聖地」に突入する日がやってきたのです!

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 向かって左の赤いターバン&ベストが息子、ベージュっぽい着物が私です。息子よりも緊張していて、むしろ息子に手を引いてもらう感じでした。単なる「龍踊の前の子どもの行列、しかもその付き添い」ですから、朝4時に着付けに行ったところで、踊るわけでも誰に注目されるわけでもなく、「聖地」を一周ぐるりと歩くだけなのですが、本人にとっては「おーごと(大事)」です。
 そしてそこは、4年前に立った「目の前の外側」で想像していたのとは、ぜんぜん違うところでした。もっと、やけどしそうに熱かったり、息ができないくらい密度が高かったり、張りつめているものだと思っていましたが、違うんです。ほわーっと、やんわりと、ふんわりとあたたかくて、まわりの音が聞こえてるんだけどちょっと遠くて、そして途方もなくきめ細やかな何かに満ち満ちている…あんまり意味をつけるのは野暮でしょうが、あえてたとえるなら、胎内っぽい…そんなようなところ。目には見えないけれど、確実に「なんらかの『膜的なもの』に包まれた内部」に入って、出てきた実感がありました。
「巡礼時間」は2分くらいだったでしょうか。しかし、子どものころからそこへ行くことを焦がれつつ、自分の力ではついに叶わなかった私にとっては、とてもとても長い一瞬でしたし、いまもずーっと、あの時あの場所で包まれたものとつながっているような気がしています。

Profile:
下妻みどり(しもつまみどり):ある「見える人」に「あなたは霊的なものが好きだけど、霊感はありません」ときっぱり言われつつ、長崎の歴史の水底に沈む声を聞きたいと町をさまようイタコ、もとい、ライター。「聖地巡礼」長崎編ではナビゲーターを務めさせていただきました。
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いや~下妻さんの「ワクワク」感が伝わってくる文章ですね。それにしても、長崎って、なんていうか、日本のように日本でないような管理人の中でも消化できないところがあります。そこに、キリシタンなんて要素が入るようなら……頭は破裂(笑)。でも、長崎ってほんといいところですよ~。今度は管理人は家族で行きたいなって思っています。(管)