聖地巡礼 峠茶屋

衰微した日本の霊性を再生賦活させる内田樹先生・釈徹宗先生による「聖地巡礼ツアー」に参加している巡礼部および関係者によるブログ。ロケハンや取材時の感想などを随時お伝えしていきます。

No.11 名前を知らない

 公募開始後の「私だけの聖地」、二人目のご投稿です。zyakuzyoさんに不思議な場所についてご寄稿いただきました。写真はないのですが、文章を拝読したあと、管理人はすぐにググりました(たぶん、みなさんもそうなると思います・笑)。非常に面白いスポットだと思います。ということで、まずはご高覧ください!
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名前を知らない(zyakuzyo)

 京都に行くと、必ず朝一番に詣でる私だけの聖地がある。
 木嶋坐天照御魂神社という太秦にある小さな神社だ。通称、木嶋神社祭神は天之御中主、大国魂神、穂々出見命、鵜茅葺不合命の四柱である。
 京都の路面電車である嵐電蚕ノ社駅から出ればすぐに見える道路沿いの鳥居をくぐり、3、4分まっすぐ歩けば境内に着く。蚕ノ社駅、である。これは木嶋神社の本殿の右に配された摂社の「蚕養神社」の通称が「蚕の社」であるからだ。
 木嶋神社の歴史は古い。創建時期は不明だが、続日本紀にはもう記述があるため、それ以前に建立された神社であろう。
 この神社の創建には秦氏が関わっているそうだ。秦氏といえば、聖徳太子に仕えた秦河勝が有名であろうか。その秦氏の氏寺、そして聖徳太子信仰の寺でもある弥勒菩薩半跏像が有名な太秦広隆寺は、この木嶋神社から15分も歩けば着く。太秦秦氏の歴史が色濃く残る土地だ。
 木嶋神社の中でもその秦氏の歴史を物語るのが蚕の社と、境内にある三柱鳥居だ。
 秦氏は、はるか昔に養蚕の技術を独占していたとも言われる。それゆえに養蚕の神を祀る蚕の社摂社として祀られているのであろう。
 そして三柱鳥居。これこそが私を惹きつけてやまない「聖地」である。
 私がこの鳥居の存在を知ったのは「陰陽師」という夢枕獏氏原作、岡野玲子氏作画の漫画だった。拝殿から少しそれて奥に入った「元糺の池」と呼ばれる池の中(現在は水が枯れているが)に三柱鳥居はある。この鳥居、とても面白い形をしている。三つの鳥居を組み合わせ、三角柱のようになっており、その中に神座がある。おおよそ鳥居とは思えない、まるでそれ自体が何かの儀式を行う場の様だ。
 この不思議な形故に、その由来には諸説あるらしいが、私が件の「陰陽師」で知ったのは「鳥居も柱も方角から何から全て秦氏が京の都全てに掛けた呪術の一端である」というようなものだった。京都という都の造成に深く関わったと言われる秦氏の呪術めいていて、いつか見てみたいと思っていた。そういう意味でも聖地巡礼だったわけだ。とてもワクワクしながら初めて参詣した時、私は夜行バスで京都に行った。だから早朝に京都駅に着き、朝から参詣できて混んでいない神社だ、というそれだけで朝一番に行ったのが木嶋神社だった。しかし、その日以来私は京都の朝には必ず木嶋神社に詣でるようになった。
 私のワクワクした気持ちは、境内に踏み入った時にすうっと引いた。参拝者はなかったが、境内には幼稚園があり、朝の早いその時刻には子供を送ってきたのだろう母親とすれ違った。園児のお遊戯だろうか、子供特有の高い声もした。その人の気配と子供の声に、どうしてか私の心は急速に凪いでいった。それはまるで、その神社が放つ圧倒的なまでの静謐が、母親の足音も、園児の声も、私のワクワクもその静謐の中に取り込んでしまったようだった。あるいは、その小さな一つ一つのざわめきを全て含んでなお静かに佇むそれこそが、本来の静謐なのかもしれないと思うほどだった。
 全ての社に静かに詣でて、最後に元糺の池の三柱鳥居の前に立った。そこに立った瞬間に感じたのはよく分からない戸惑いだった。静かなその神社の境内で、唐突に刃物を突き付けられたような冷たい感触が精神を襲ったからだった。恐怖ではない。ただただ静かに、冷たく、滾々と迫ってくる何かがあった。私はその感触の名前を今以て知らない。なにも起こってはいないのに射すくめられたように立ちすくんでいた私に、一緒に参詣した姉が声を掛けた。姉に声を掛けられるまで、いや、姉が不安になって声を掛けるまで、だろうか、私は茫然とその鳥居の前に立っていたのだった。
  木嶋神社の三柱鳥居は、あまりにも静かな中にありながら、あまりにも圧倒的な「何か」をその裡にひそませている。その「何か」に名前を付ける方策が私にはない。ないからこそ、私はいつもその名前を探すためか、その「何か」に触れるためか、その鳥居の前に、いつも初めの日と同じまだ誰も神社にいない朝に、立つ。何度立っても、その「何か」に打ちのめされ、途方に暮れたように戸惑うばかりなのだけれど。
 境内を出て、大鳥居を出て、嵐電の線路沿いの道まで出ると、私はいつも可笑しな気持ちになって笑い出したり、饒舌になったりする。そうしてそこから、線路に沿い嵐電一駅分歩いて、先にも書いた秦氏の寺、太秦広隆寺を目指す。その道は秦氏の切り拓いた道かもしれず、笑いながら歩く道すがら、いつも私は考える。「もしかしたら、あの鳥居も、この路も、これから行くお寺も、さっき感じた戸惑いも、これから起こる何もかも、秦氏のまじないのせいかもしれないわ」。可笑しな話だが、私はこのようなことを神社から出るといつも考えるのに、このようなことをあの鳥居の前で考えられた例がない。
 私からあらゆる思考を奪い取り、打ちのめし、静謐の中に私を取り込むあの場所のそれに、名前を付けることはできない。この戸惑いに名前を付け、分類し私の尺度で測ろうとすることを、あの鳥居はきっと許さないだろうとでも言うように。だからこそ、あの場所は私が今以て名前を知らないでいる〝私だけ″の聖地なのだろう。

Profile
zyakuzyo:寺生まれ寺住まいの暇人。仏教や神道陰陽道、そしてサブカルなどのマニアっぽい。
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名前をつけられない「何か」というのは、まさに聖地の神髄だと思います。三柱鳥居が池にあったということは、磐座は池のなかにあったはず……。なぜ、どうして? ナゾは膨らみます。こういうのを好きな人は僕だけではないでしょう。みなさんも一度、行ってみてはいかがでしょうか? では、続々と投稿いただいております。また来週、更新させていただく予定です! そちらもお楽しみに!(管)