聖地巡礼 峠茶屋

衰微した日本の霊性を再生賦活させる内田樹先生・釈徹宗先生による「聖地巡礼ツアー」に参加している巡礼部および関係者によるブログ。ロケハンや取材時の感想などを随時お伝えしていきます。

No.10  いまに続くモノ

  さて、一般公募を開始させていただいた企画「私だけの聖地」に早速、ご投稿いただきました! Amano_Jokeさんはパワースポットなどをよく巡られるそうですが、いまはなかなか想像できない「土葬」についても書いてくださっており、興味深い内容となっております。ぜひお読みいただけましたら幸いです。なお、「私だけの聖地」、締切まではまだまだありますが、ご応募お待ちしております。カテゴリ最上部の募集概要をお読みのうえ、投稿ください。「あなただけの聖地」をお教えいただけましたらうれしいです!

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いまに続くモノ(Amano_Joke)

私は、「聖地」が好きです。
寺社仏閣へ、よく参拝します。お山自体が、ご神体の奈良の大神神社三輪山や宮島の弥山にも登山しました。さらに、古墳、パワースポットも行きます。
なんでなんだろう? そこへ行くと、気持ちがいいから?
よくわからないな、と思っています。
そんな「私の」聖地は、いくつもあるのですが、思いつくのは、母の実家の田舎の墓地です。
聖地といえるほどの、場所ではないのですが、「私だけの」というプライベートな部分の聖地なら、その墓地だと思いました。
母の実家は、群馬県安中市世界遺産になって、盛り上がっている富岡製糸工場も、群馬にあり、昔から養蚕の盛んな土地でした。しかし、この数十年、中国製の安い生糸におされて、今は、この集落では、養蚕農家はひとつもありません。でも、少なくとも、私の子ども時代(といっても40年前になりますが)、まだ、養蚕がさかんで、夏の暑い盛りの養蚕シーズンには、お蚕さんのエサになる桑をとるために、近くの桑畑から、日に何回も往復していました。
また、母の実家は、古くからの家です。「本家(ほんけ)」と呼ばれます。田舎の家の、亡くなったおじいさんの昔話は、「この家は、平家のお姫様を連れて逃げてきた」という、昔話から始まりました。ホントかよ、と思っていましたが、郷土史によると、少なくとも武田信玄による落城の記録からは、あるようです。自分の記憶のなかにも「400年のお祭り」という400年忌の記憶があり、真偽は、わからないのですが、平家までは、遡らないとしても、戦国時代からは、家計図がある家です。
そこでは、裏山に墓地があります。歩いて5分もかからない場所なのですが、お墓参りというとそこに行きます。
墓地には、古い石塔が並びます。石塔以外にも小さな石が、ならんでいます。

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石塔の前に、小さな石が並んでいます。それも“墓石”です。

その昔から、同じ場所に墓地があったかどうかは、わからないのですが、この墓地では、ならんだ小さな石、ひとつひとつも墓石だ、といわれています。だから、全部の石にお線香をあげます。見える石がすべて、墓石なので、墓参にはいつも、線香一束以上は使います。よく見ると足元の石は、踏んづけていたりするんですけどね。
その墓地で、私が子どもの頃、曾祖父(ひいおじいちゃん)の葬儀がありました。

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写真の真ん中が曾祖父の夫婦です。古い順番にかかげられています。
その左の二人は、その前の代の夫婦です。この肖像を書いてもらうのに、「絵師」を1ヶ月くらい家に泊まらせて、書いてもらったそうです。明治くらいの、養蚕農家盛んな頃でしょうか。亡くなると、ここに写真が、掲げられるんだなあと思います。
曾祖父の葬儀の時は、土葬が許可されていたので、棺をかついで裏山にあがりました。
土葬のあとは、膝の高さくらいに、しばらく地面がこんもりとしていました。そして、「おじいさんが、こちらが頭で“いかっている”。で、こちらが足だから、お線香はこっち」と言われました。“いかっている”とは、埋められているという方言です。
死んだ人に、お花を「いける」ような、「いける」を使うのは、なんかヘンだなと思いました。
そして、四十九日がすぎて、1年がすぎると、人間のからだが、だんだんと、土に帰っていきます。そのこんもりとした「小山」が、だんだんとたいらになっていきました。
ふかふかだった地面が、硬くなっていきました。やっぱり、踏んでいるわけです。
今は火葬なのですが、土葬された死体というモノが、さらになくなっていくのを、自分の足元の高さと硬さで感じていました。
また、昨年、祖母の葬儀がありました。今は、土葬が認められていないので、火葬になります。
亡くなった祖母が、納棺されて葬儀にいたるまでの間、祖母が人間からモノになるのを、見ていました。最初は「まるで、生きているような、穏やかな、いいお顔ねえ」と言われていた祖母の顔が、火葬の前には、人間の顔ではなく、死体の顔になっていました。
火葬までの時間は、ちょっと息をとめて、ちょっと心臓を止めているように見えた人間が、死体いうモノになっていく時間でした。
その間の宗教行事と時間は、人間からモノへ変って行く過程を、自分の納得するかたちで、受け止めるために必要な作法と時間でした。
その祖母も、この墓地に入りました。祖母も、“いかっています”。
その墓地で、今、私は、呼吸をしています。この墓地は、曾祖父の小山があった場所で、祖母がはいった石塔があります。
そして、この墓地にくると、曾祖父や祖母がそうだったように、人間からモノになって、やがて、それがなくなったとしても、まだ、ここにちゃんと「いる」ことが実感できます。
また、私も、やがて、モノになり、そしてそのモノもなくなっていく存在です。
でも、むしろ、今は生きている私という存在は、なくなってもあり続ける、というモノであるというのを、墓地で実感している気がします。
それは、名前もわからない、小さな石になった400年まえから、今に続くモノなのだと思います。
私は、「聖地」に行くのは、もしかしたら、これを実感するために、行くのではないかと思います。
今ここに生きている、自分という存在は、やがてモノになっていきます。そして、そのモノの存在もなくなっていくけど、それは何百年、何千年まえからそうであったように、存在はなくなっても、そこにモノがあり続ける、という事かもしれません。f:id:seichi_jyunrei:20150123155201j:plain

お盆のときの写真です。新しい仏様が加わりました。左側にちょっと盆棚の笹が写っています。

Profile
Amano_Joke:みっちりした医療関係の仕事をしながら、パワースポットによく行っております。4年連続して夏休みは奈良、ということもありました。

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管理人は「小山」の部分が印象に残りました。葬送儀礼は本体、身体の変化にあわせて行なわれていたのかもしれないですね。Amano_Jokeさん、ご応募ありがとうございました! このような形で、随時アップしていければと思います。みなさまのご応募、お待ちしております! (管)