聖地巡礼 峠茶屋

衰微した日本の霊性を再生賦活させる内田樹先生・釈徹宗先生による「聖地巡礼ツアー」に参加している巡礼部および関係者によるブログ。ロケハンや取材時の感想などを随時お伝えしていきます。

No.2 港町神戸の諏訪神社と中華義荘(ちゅうかぎそう)。

  さてさて「私が訪れた聖地」の第2弾は、いつもさわやかな笑顔で管理人をさりげなくホメてくれるフリーライター&エディターの青山ゆみこさんです!  ご紹介いただけるのは、どんな聖地なんでしょうか? まずはぜひぜひ、読んでくだされ~。

・・・

港町神戸の諏訪神社と中華義荘。 (青山ゆみこ)

 神戸元町の山麓に位置する自宅から歩いて5分ほどのところに諏訪神社があり、毎年、初詣に参る。
 この諏訪神社が建つのは六甲山系の諏訪山の中腹で、開港間もない明治7年にフランス観測隊が金星を観測したという展望台、金星台のすぐ近く。諏訪神社と稲荷神社が祀られている。
 神戸在住の作家・陳舜臣さんがエッセイ集『神戸というまち』で「諏訪山神社」と表記しているのは、地元民にとっては確かに「諏訪山にある神さん」だからだろう。
 陳さんはこう書いている。

 神殿のまえに、すこし傾斜した奇妙な台が置いてある。腰掛けではない。跪拝するとき、両膝をそこにつくための台なのだ。中国では、神にたいしては『一跪 三即頭』の礼をおこなう。一回ひざまずき、三回頭をさげる。死者には『一跪四即頭』、皇帝や天地には『三跪九即頭』ときまっているが、いずれにしても、ひざまずかねばならない。
 中国ふうの跪拝の座具を置いている神社など、日本にはほかにはないだろう。
 神社には絵馬が奉納されるのがふつうだが、ここでは、そのかわりに献額である。
 『有求必応』――求めあらば必ず応ず。
 などど、霊験のあらたかなことをたたえることばで、奉納者の名は中国人ばかり。ほかに、『恵我華僑』
 と、華僑に守護たまわらんことを希ったり、
『佑我中日従心
と、日中友好を祈願する額がならぶ。
 これでわかるように、この神社は、参詣者の七割から八割までが中国人という。いっぷうかわった神社である。
 どうして神戸の華僑が、とくに諏訪山神社を尊崇するのか、いずれいわれはあったのだろうが、いまではもうわからなくなっている。熱心に『諏訪山さん』に通う華僑の老婆にきいても、
「いい神様だからさ」
 と答えるだけだ。
陳舜臣著『神戸というまち』(1965年・至誠堂新書)より

 現在は平凡社ライブラリーで『神戸ものがたり』(1998年)として改訂出版されている同書だが、ふと引っかかって、1965年版の《この神社は、参詣者の七割から八割までが中国人》という箇所を1998年版と照らし合わせると、《この神社の参詣者には中国人が多い》と書き換えられていた。
 神社で目にする「奉納名」には華人名も少なくないし、初詣の境内で華僑の知人にばったり会ったこともある。けれども、お参り風景は他の日本の神社と変わらず、参拝者のたいていは日本人の地元住民に見える。陳さんが感じられたように、時代とともに諏訪神社の参詣風景は変わってきたのだろう。

f:id:seichi_jyunrei:20130101122903j:plain

毎年、相方と連れ立って初詣は諏訪神社へ。金星台の展望台から海を眺めて山を下ります。


 陳さんは、なぜこの神社が華僑に親しまれているかはわからないと書く。わたしにもわからない。ただ、ひとつ感じることがある。
 少し話が変わるが、神戸の市街地から少し西に位置する長田の山中に「中華義荘」という墓園がある。ここは、宗教は不問だが先祖が中国人であることが入墓条件という中国人墓地だ。
 中華義荘を地図で確認するとひよどり展望公園とほぼ同標高で、わざわざ眺望を楽しもうという高台らしく、たいへんに眺めが良い。
 そんな山麓の、海に向かって一気に開けた南斜面に、約700基の墓が螺旋状に並んでいるこの中国人墓地はなかなか壮観。黒や茶色や白っぽい御影石など形状は日本の墓石と大差はないが、異なるのは並ぶ方向。だんだん畑のように傾斜地を段状にした平地に並ぶ墓石は、まるでイースター島のモアイ像のようにどれも揃って同方向、南に広がる海に向かっている。瀬戸内を走る船からはきっと、墓石群に反射した光がきらきらと目に飛び込んでいるだろう。
 白い雲が漂う広い空の下、海から山からの風が南北の斜面をさあっと吹き抜ける墓園はからりと開放的で、彼岸の頃には墓を囲んで賑やかに食べたり飲んだりする中国スタイルの墓参風景を目にすることもあり、どこか陽気ささえ漂っている。
 南北に平野部が狭い神戸は山と海の距離が近く、少し山手に上っただけで、高層マンションや家屋がひしめく市街地を眼下に見下ろすことができる。中華義荘に立つと、そんな密集した港町の風景も目にするはずなのだが、わたしの記憶に浮かび上がるのは、いつもなぜか海面が煌めく穏やかな海の風景ばかりだ。
 あるとき、墓石と並んで南の海を眺めていると、ふいにこみ上げるものがあった。まるでその穏やかな海の向こうに、遠い祖国を見るような気持ちになったのだ。
 中華義荘に眠る華人たちが故郷をどう思っているのか、わたしにはわからない。二世以降の華僑は、生まれた日本こそが故郷だと思っているかもしれない。まるでなにもわからない。
 ただ、こんな思いが身体を包んだような気がした。
 なにかしら「故郷」的な、思い起こすと甘くあたたかで切なく感情を沸き立たせるなにかが、目の前の海の、そのずっと先にある。と同時にわたしは今、自分が選んだ土地に自分の足で立っている。遠く望むものに感傷的な思いを抱くのは、自分が今ここにこうして立っているからなのだ、と。
 当人、あるいは両親が、祖父母たち先祖が海を渡ってきた華僑にとって、海とは故郷とのつながりだろう。
 高台の中国人墓地から眺める神戸の海の向こうに、わたしは見たこともない異国の風景、彼らの故郷を見た気がした。
 翻って諏訪神社である。標高約100m。石の鳥居の立つバス道沿いから上る参道は、まるでスキーのジャンプ台のように勾配のきつい坂道だ。参道中腹あたりからは細く急な階段が続き、冬でも軽く汗ばんでくる。上り終えて境内に立ち、ふと背後を振りかえると、眼下には神戸の街並、そして遠くに青い海が広がっている。
 ああ、そうか。諏訪神社もまた海を望んでいるのだな。
 貿易関係を生業に持つ人が多い華僑たちは、昔からここで航海安全を祈願したのだろうか。でもそれだけではない気がしている。
 市街地に高層マンションが増えた震災以降、境内からの眺望は変わっていった。それでも、中華義荘から望むのと同じ神戸の海を、まだ諏訪神社からも眺めることができる。

Profile

青山ゆみこ:フリーランスのライター・エディター。芸人さんからホスピスの患者さんまで、いろんな人の話を聞いて文章にすることが主な仕事です。人に限らず、その地からきこえる声を聞きたくて巡礼部で活動しています。むふ。

・・・

「故郷」を思い浮かべると、そこには具体的な建造物よりも、海や山といった自然の風景を思い浮かべる人も多いと思います。見る人により、時代により、その海の風景はきっと異なった印象を与えるのでしょう。文章を読んでいて、管理人には中華義荘からの眺めがなんとなく見えるような気もしました。

  来週は川上牧師が長崎キリシタン巡礼を経て「信じる」ことについて書いていただいた文章です。ご期待ください!(管)