聖地巡礼 峠茶屋

衰微した日本の霊性を再生賦活させる内田樹先生・釈徹宗先生による「聖地巡礼ツアー」に参加している巡礼部および関係者によるブログ。ロケハンや取材時の感想などを随時お伝えしていきます。

どこに行ったの? 聖地巡礼(4)

こんにちは、管理人です。

さて、今回はいよいよ内田・釈先生による昨夏の対談をズバーと最後まで掲載させていただきます。もう何も申しません。じっくりとお楽しみください!  ちなみに両先生による新刊『日本霊性論』(NHK出版新書)も発売されましたので、物足りない方はそちらもチェックしてみてはいかがでしょうか?  ではでは、その前にまずはこちらをどうぞ!

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自分の歴史の担保者
釈  そういえば、認知症の人って、自分の話を一所懸命されるんですね。記憶違いとか妄想も入り混じって、もう一所懸命、自分の話をする。それは「自分がいままで歩んできた道筋を知る人がいなくなっていく」といった苦しみからきているのかもしれません。この苦悩は人間ならではの、根源的なもののように思われます。
内田 うちの父は90歳まで生きましたが、80歳を過ぎてからは「友だちが死ぬのがいちばんつらい」って言ってましたね。
 自分と友人と二人だけしか知らないような経験があるわけです。だから会えば、そのときのことを思い出せる。いいかえれば、彼が自分の歴史を証人であり、自分がどんな人生を送ってきたのかを保証してくれているわけです。でも、友だちが死ぬと、その歴史や経験の担保者がいなくなってしまう。自分の身に起きた決定的に重要な出来事であっても、それがほんとうにあったことなのかどうかさえ、そのときかたわらにいた友だちが死んでしまうと、確信を持てなくなってしまう。自分が記憶しているさまざまな出来事も、その証人がひとりひとり消えるにつれて、しだいにリアリティを失い、パラパラと剥離していって、それと共にだんだん自分の存在の確かさ自体が希薄になってゆく・・・
釈  老いの苦悩における大きな要素ですね、それは。
 特に、むつみ庵のように、いままで暮らしていた場所とは異なる場で共同生活を送っておられるのですから。自分のことについて何度も同じ話を繰り返す行為の奥底には、自らの人生の担保が消滅していくプロセスがあるのかもしれません。ご教示いただいた写真の件、さっそく取り組んでみようと思います。

物語を共有するということ
内田 同じ話を繰り返してしまう気持ちって、わかる気がするんです。次々と違う話ができることの方がむしろ希有なんですよ。自分がした話を相手がしっかりと受け止めてくれて、自分の話の内容が承認され、記憶され、共有されたという確信がないと、別の話に移ることってできないんです。その確信が持てないから「さっきの話、この人は覚えてないかもしれない」と不安になって、また同じ話を最初からすることになる。
 たぶん認知症の人は自分のアイデンティティーの基礎づけになる物語を相手が共有してくれたという確信が得られるまで何十回でも何百回同じ話を語り続けることになるんでしょうね。
釈  そうですね、そうだと思います。しかも、妄想が入ります。たとえば、自分が女優だった話をずっとしている。もちろん、そんな事実はありません。これも「物語を共有したい」っていう思いがあるからなんでしょうか。
内田 女優って、言い換えると「その人が誰だかみんなが知っている人」のことですよね。自分のことを知っている人がいないという不安に駆られると、「みんなが知っている人」に幻想的に同化して、自分の存在を基礎づけようとする。人間て、そういうものなんですよ。自分についての物語を他者と共有できないと、自我って立ちゆかないんです。
釈  うん、そうですね。できればあの家で暮らしていくことで、新しい物語を共有していっていただきたいです。
内田 むつみ庵が、その場となるような物語、豊かな温かい手触りの物語があれば、ずいぶん暮らしやすいんじゃないですかね。
釈  それを目指したいと思います。

日本人にとってのキリスト教イスラム教
釈 さて、これからも我々の聖地巡礼は続くわけですが、どこかご希望の場所はありますか。
内田 この後11月に長崎にキリシタンの故地を訪ねることは決まっていますね。
釈  いままで仏教、神道に偏り過ぎていましたので、ここで日本のキリスト教について探ってみます。よく言われることですが、日本ではクリスチャンが常に人口の1パーセントぐらいに収まってしまう。だから、よく研究者は「日本にはキリスト教が土着しなかった」というんですが、私はそうでもないと思っています。すごい時間がかかっているけれど、間違いなく土着している。
内田 だんだん、だんだんと。
釈  だって、我々のものの考え方や教育や医療、また生命観や倫理観なども、かなりキリスト教的なものでしょう。
内田 そうですね、入ってますね。
釈  だから、すごく時間はかかってはいるけれど、間違いなく日本にとけこんでいます。現在の日本文化や日本の宗教を語るときに、キリスト教は外せない。
内田 あと二、三百年したらね、イスラムの影響も出てくると思います。
釈  それも間違いないです。
内田 だんだん増えてくると思いますよ、ムスリムは。イスラム一神教的な信仰の形と独特の倫理、儀礼性とか宇宙観に共感する若い人がこれからだんだんと増えてゆくような気がします。時間はかかるでしょうが。
釈  そうですね。
内田 100年ぐらいの射程で考えないとわかりませんけれど。でも、日本ってやっぱり、そういう外来の宗教を基本的には受容するじゃないですか。
釈  そうです。排除しません。ただ、自分に合わないものはカットしちゃうんですが。
内田 置いとくだけ。ちょっと置いといて、知らない顔をして。
釈  まず合うところから徐々に取り入れる。とにかくイスラム人口が増えていきます。なにしろ、物理的にイスラム圏は人口増加状態ですので。
内田 15億人ですものね。
釈  増加した人口は世界に拡散・流入していきます。
内田 インドネシアとかマレーシアがイスラム圏ですからね。これからどんどんムスリムが入ってくるし、ムスリム社会で暮らす機会も増えるでしょうから、身近にムスリムがいる人たちの中から「この宗教、いいじゃないか」っていう人が必ずでてくると思いますよ。とりあえずは結婚を理由にした改宗でしょうけれど。
 先日、中田考先生に聞いたら、日本人ムスリムでいちばん長い人で、ようやく四代目になるそうです。
釈  ほほぉ、なるほど。
内田 これが釈先生のところみたいに19代とかになると、数も増えるでしょうし、横のネットワークもしっかりしてくるし、思想や文学の蓄積もできてくる。そうなると、日本人ムスリムたちが集団として発言し始めたりして……。
釈  政治団体をつくる可能性だってあるでしょうし。
内田 ありますね。

イスラムの人とどのようにつきあうか
釈  そもそもTPP(環太平洋パートナーシップ協定)が成立したら、インドネシアあたりからの労働者がどっと入ってくるでしょう。
内田 入ってくるでしょうね。そういう人たちが、日本に定住して日本人と結婚して子どもができてくると、日本人ムスリムがどんどん増えてくる。
釈  かつて、戦国時代にキリスト教がやってきた際は、生命観の領域で人々に大きな衝撃を与えました。それまで大きな影響力をもっていた仏教の生命観だと、虫も動物も人間もすべての生命は等質であるとなります。しかし、キリスト教が人間中心の生命観を持ち込みました。人間の魂と、他の生物の魂とは、別ものであるという生命観。これには、多くの人が共感したという記述が残っています。
 新しい宗教体系がもたらす生命観や倫理観が与える影響は、とても興味深いものがあります。イスラム文化も、我々の文化をさらに豊かにしてくれるかもしれません。
 ただ、イスラムは土葬でないとだめなので、そこがどうなるのか。なにしろ日本は火葬率世界一ですから。
内田 なるほどねえ。
釈  TPPを推進している人たちは、このことをどう考えているのでしょうか。イスラム圏の人たちが労働力として大量に流入してきたら、いちばん困るのはお墓でしょう。いまのところ、日本で土葬できるところはほとんどないんですよ。
内田 日本の法律は土葬って認めていないんですか?
釈  一部では土葬が行われています。しかし、99%が火葬です。
 いまのところ、山梨のお寺が墓地の一部を日本ムスリム協会に提供しているものの、そこももういっぱいになっている、そう聞いています。
内田 なるほど。
釈 このあたり、行政の対応や社会制度の整備を進めなければいけません。
内田 でも、行政はそんなこと考えてないと思いますよ。海外から移民を受け入れるとき、政治家や経済人が考えているのって金の話だけですから。労働力が足りない、安い人件費がほしいっていう、ただそれだけ。
 でも、そういう人たちが固有の信仰や生活習慣や食文化を持って入ってきたときに、それによって我々の社会がどういうふうに変わっていくのか、どういうふうに新しい宗教集団を受け入れて、共生していくのかについて、もっと真剣に考えるべきなんです。でも、真剣に考えてきちんと対処した国って、どこにもないですね。フランスのアルジェリア移民も、ドイツのトルコ移民も。
釈  ひどいですよねえ。
内田 自分たちの都合で移民を入れておいて、要らなくなった「帰れ」ですからね。

隠れキリシタン
内田 キリシタンに話を戻すと、すごくディープらしいですよ。長崎大学の友人によると、くるのなら、じっくりと一週間くらいかけて見ないとだめですよって。
釈  キリシタンっていうのは、日本の歴史上において、ほんの一時期限定で大きく咲いた「花」みたいなものです。ヨーロッパのキリスト教ともかなり異なるユニークな形体を持っている。しかも、それが五島列島などには、いまなお文化として残っている。
内田 まだ残っているそうですね。
釈  長崎に行ったあとは、山口県の津和野にも行きたいです。友人の牧師さんが教えてくれたんですが、イエスが十字架を背負ってゴルゴダの丘を上った道・ヴィア・ドロローサみたいな巡礼道があるそうなんです。ここは長崎のキリシタンの殉教者と深い関係があるところです。
 エルサレムヴィア・ドロローサでは、今もなお、毎日たくさんの人が十字架を背負って……。
内田 疑似体験するわけですね。
釈  十字架を担いで歩くんです。イエスはゴルゴダの丘に行くまでに何度か膝をついて倒れたといわれているんですが、その場所もちゃんと……。
内田 膝をつくわけですね。
釈  そして、その場をさすりながら泣いている人もいます。ほんとうに聖地の力ですね。そして、津和野にも同じような聖性を持つ道があるそうなんです。
内田 津和野にですか。
釈  はい。どうしても行きたくって。
内田 もちろん、いいですよ。これは息の長い企画ですからね。

佐渡能楽
内田 僕からのご提案は、「佐渡に行きたい」っていうことですね。浄土真宗の親鸞世阿弥……。
釈  日蓮も流されています。
内田 みんな行っちゃうんですね、佐渡に。
釈  親鸞佐渡に伝説に残っていますが、史実としては確認されていません。
 日蓮佐渡に流罪となっていますので、佐渡では日蓮宗が盛んだそうです。
内田 佐渡って島内に三十数ヶ所、能楽堂があるんですって。普通は能楽堂なんて、都道府県の中にもいくつもないのに。そして、村ごとに座があって、能楽をたしなんでいる。
釈  その能楽者さんたちは、地元の方たちですか。
内田 もちろんです。その方たちが夜になると集まって、お稽古して謡い合い、仕舞いやお能をする。それが連綿と世阿弥の時代から続いている。
 いずれにしても佐渡ってどういうところなのか、文字的な情報ではわからない。だから実際に行けば、「ああ、なるほど」と腑に落ちるんじゃないかと。そもそもなぜ佐渡が遠流の地で、多くの人がある種の改心を遂げたのか。そういう土地の力をこの身体を使って経験してみたいんです。
釈  そうですね。やっぱり行かねばなりませんね。
内田 あとは出羽三山ですね、羽黒山と月山と湯殿山
釈  出羽三山は、先生が当初から提案されておられた場所です。
内田 湯殿山は釈先生も私もすでに行って、ふたりともご神体は何であるかは熟知しているのですが、ここでいうわけにはいきません。
釈  語ってはいけないというルールになっているんです。絵にも描いても写真を撮ってもダメ。そして最後は恐山ですかね。
内田 そうですね。

プロジェクト第一号?
釈  ただ、ちょっと関東地方が……。
内田 抜けていますね。関東の聖地って何でしょうかね。
釈  いくつか腹案はあるんですけど。でも、「関東もおさえておこう」などといい出せば、「じゃあ、四国に行かなくていいのか」ということになってきます(笑)。四国は宗教性が高いエリアですから。海民系の文化も根強い。
内田 そうでしょうねえ。
釈 さっき話に出た西原理恵子さんの出身が高知なんです。うちの親戚にも高知の人が何人かいるんですが、西原さんとお話してすごく「高知の女性だ~」と感じました。芯が強いというか、たくましいというか。強い気性で。
 西原さんもおっしゃっていましたが、高知の女性は「土壇場で男は頼りにならない」などと思っているそうです(笑)。そもそも女性が根本のところで男性を頼りにしていない。
内田 今度、結婚する教え子も高知出身でして。その教え子が今度、これまた釈先生の教え子と結婚することになったんですよね。
釈  我々のプロジェクト第一号。
内田 プロジェクトの成果といえるのでしょうか(笑)。でも、聖地巡礼が取り持った縁ですよね、京都で御数珠を貸したのが縁で交際がはじまった。
釈  いやぁ、なかなかありませんよ、そんなご縁。いいお話です。
内田 いいですよねえ。

「魂は明るい」
釈 そうそう、四国の愛媛出身の小説家で『夢千代日記』などを書かれた早坂暁さんは、お遍路道の傍に生まれ育ったんですが、じつは三歳頃まで立つことができなかった。だから、お母さんが早坂さんを背負って八十八ヶ所を巡拝したそうです。そのとき、いく先々でみんながお接待をしてくれた。そのときのことを覚えているそうです。宿のおじいちゃんに背負われて階段を上がったことや、汗びっしょりの母親の背中で蝉の声が聞こえていたこと、知らないおばちゃんにおっぱいをもらったこと……。
 むかしのお遍路は、みんな貧・病・争などの問題を抱えていて、とにかく暗いイメージだったそうです。だから早坂さんは、とにかくこの地を出たいと子どものときからずっと思っていた。でも、大人になって上京して、東京で暮らすうちに「かつてのお遍路さんたちは、抱えている問題は暗かったけれども、魂はとても明るかった」と考え直したそうです。そしていまは、四国が日本の「脈」だと思っているらしくて。日本の病状は四国を見ればわかるとおっしゃっています。むかしは貧・病・争で悩む人がお遍路道を歩いていましたが、そのうち「自分探し」の人が歩くようになり、引きこもりの人が続くようになった。いまではリストラの人が歩いて、熟年離婚の人のお遍路も増えている。

奥の細道』とひきこもり
内田 なるほどね。安田登さんがやっている『奥の細道』のウォーキングでは、引きこもりの子たちを連れていくそうです。うまくしゃべれない子を連れて、黙々と奥の細道芭蕉曾良のルートを歩く。中には、もう道とはいえない道もあるけれど、それでもどんどん行く。ここを通ったはずだっていう、むかしの道を訪ねて。
 そうやって何日か、森の中で迷ったり、雨に打たれながら歩いていくと、引きこもりの子どもたちの顔つきがどんどん変わってくるそうです。しかも、『奥の細道』なので、五・七・五の俳句を必ず詠まなくちゃいけない。
釈  なるほど、自分でも句を詠みながら『奥の細道』をたどるのですね。
内田 はい。もちろん最初はみんな、うまくいかない。ところが何日か経つと、だんだん俳句を詠みだすようになる。そのうち突然ポエジーが爆発して、秀句を連発するようになる。表情もふるまいも周囲の人との関係もガラッと変わるそうです。
 これも一種の「聖地巡礼」と言っていいんでしょうね。安田さんは能楽師なんで、別に教育者じゃないんですけれど、引きこもりの子をそういう歌枕を歩いてもらって、歌を詠むということをしたら絶対にいい、と直感的に思ったそうなんです。
釈  ははぁ、そうなんですか。早坂さんも、引きこもりの人にもお遍路がすごくいいとおっしゃっています。引きこもりって、先生のさっきの言葉でいうと、インターフェースが不具合になっている。でも、お遍路をすると、いまなお熱心なお接待の場所があって、リンゴや柿くれたりとか……そんなお接待の洗礼を受けながら歩いていると、そのうちインターフェースが修復される。

イスラム教の歓待
内田 でも、日本って歓待の文化はあんまり根づいていないですよね。イスラムに比べたら……。
釈  イスラム圏の歓待に比べたら、それはもうかなり低調です。
内田 歓待の文化の裏には自然の苛酷さがあると思うんです。砂漠のなかで、実際に食べ物も飲み物も着る物もなくて、よろけるように人家にたどり着くような生活が実際にあるわけですから、歓待の文化がないと生き延びてゆけない。
 タクシーの運転手さんでも、水を飲んでいるのを後部座席からじっと見ていると、ふりかえって「飲む?」って訊いてくるそうです。パンを食べているところをじっと見ていると「食べる?」。
釈  ほんとうですよね。中東あたりのイスラム圏で道を尋ねると、すごく親切です。「よし、ついてこい。任せとけ」とかいうんですけど、その人、道知らなかったりするんですよ。「わかりません」といえばいいのに(笑)。
内田 だから、喜捨や歓待の文化は、自然が苛烈で見知らぬもの同士でもとにかく助け合わないと生きていけないという、やっぱりある種の地理的な状況のうえに成り立っているんだと思います。
 日本の能は、日が暮れてくれて、雪や雨が降ってきたりして困った旅の僧が地元の人に一夜の宿を請うところからはじまるものが多いんです。でも、すべて断られる。いろいろ理由はあるんですよ。家のなかが汚いとか、主人がいないとか、あばら家だからだとかね。「そこを曲げてお願いします」って頼んでようやく「しょうがない」と家に入れてもらえる。
 たとえば『鉢木』では、お坊さんが大雪のなか道に迷って一夜の宿を請うのに、断られる。大雪の中を追い返される。そのお坊さんが道に迷って凍死しかけた頃にようやく助けに行って「じゃあ、家に泊まりなさい」という話になる。吹雪なんだから、最初から泊めてあげればいいじゃないですか。
 おそらく日本の文化では見知らぬ人が家の門を叩いても、玄関の前で一回止めて、追い返してて、それでもまだいるとようやく扉を開けるという「ワンクッション置く」のが、他者を歓待するときのルールなんじゃないでしょうか。
 ヤクザの仁義で「お控えなすって」というのがあるじゃないですか。あれだって、どちらが先に挨拶をするかで、押し問答しますよね。「お控えなすって」って言われて一度目で「はい、控えます」とはなりませんよね。二三度やりとりがあって、はじめて「再三のお言葉に従いまして控えます」ということになる。玄関先で、どちらが先に挨拶をするかだけのことでこれだけ手間をかけるというのは、日本独特の他者の迎え入れ儀礼を表しているんじゃないんでしょうかね。
釈  たしかに、ジリジリ距離を詰める手順、みたいなものを大事にしますね。

イスラムラマダ
釈 かたや、イスラムの人はこちらがとまどうくらい、シュッと距離を詰めてくる人が多くて。二か月ほど前、東京のモスクで、ラマダン中の集まりに参加しました。みなさん、日没まで絶食していますでしょ。日暮れになると、どんどんモスクに集まってくる。そして、お祈りの後、食事します。もう、そのときなどは、初めて会った人なのに心理的な距離がとても近い。
内田 ラマダンの夜のごちそうはたしか、その町のホームレスの人たちとか誰でもきていいものだから、みんなラマダンのときのほうが、色つやがいいといいますね。
釈  イスラム国では、ラマダンの月が一年でいちばん食の消費量が多いんです。
内田 ラマダンは、全員が飢餓状態を経験して、それを身体で理解したうえで、改めてみんなで歓待し合うという儀式なんでしょう。いずれにしても、ムスリムであればだれがきても正式の客としてもてなされる。いい習慣ですよね。
釈  それに比べると、日本は互いに距離をはかりながら、ジリジリと少しずつ距離を縮めていく。そしてその際の手順が重要となります。それをしくじると、距離は縮まらない。
内田 そう。一回断られたくらいであきらめてはダメで、「そこを曲げてひとつお願いします」って畳みかけないと話が始まらない。儀礼に沿って手順を踏まないと歓待のドアが開かない。そこに日本の特殊性があるんでしょうね。
釈  我々の聖地巡礼でも、いずれは日本国内のモスクとかマスジドとかも巡りましょう。では先生、今日はこんなところでよろしいでしょうか。
内田 はい、ありがとうございました。(了)

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さて、これで4回にわたって掲載しました両先生の対談が終了しましたが、いかがでしたか? 

なお、今回で両先生の対談は終わりますが、先日、巡礼部副部長、副管理人と八重洲焼肉会議を行なった結果、次回からの新企画の概要が固まりました。また近々報告させていただきますので、その折はどうぞよろしくお願いいたします!

最後になりますが、このブログへの転載を許可いただいた朝日カルチャーセンター中ノ島教室さま、誠にありがとうございました。