聖地巡礼 峠茶屋

衰微した日本の霊性を再生賦活させる内田樹先生・釈徹宗先生による「聖地巡礼ツアー」に参加している巡礼部および関係者によるブログ。ロケハンや取材時の感想などを随時お伝えしていきます。

どこに行ったの? 聖地巡礼(3)

ご無沙汰しています、管理人です。

本当に前回の更新から時間がたってしまいました。すいません。

お詫びではないですが、どかっと1回でこれまでの巡礼を振り返ってしまいます!

かなりボリューミーな内容です。お楽しみください!

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○これまでの巡礼を写真で振り返る
釈  さて、冒頭にも話題になりましたが、「聖地巡礼」という行為が注目されています。いろんな雑誌でも、そういった企画を目にすることが多い。
内田 そうですね。
釈  我々も行っているわけです。我々の場合、さまざまな地域に潜む宗教性を感じ取る行為そのものを「聖地巡礼」と称しています。テーマは「場と関係性」だろうと思われます。関係性によって生み出される場があって、そこにいくつかの要素が組み合わさると、宗教性が発生する。それを我々は「聖地」と呼ぶ。それら「聖地」がある地域や土地の有り様を賞賛していこう、というわけです。
内田 なるほど。
釈 では、いままで歩いた場所を、写真を使って振り返ってみましょう。
内田 振り返りましょう。
釈  先にお断りしておきます。第一回の大阪の画像ですが、部分的に大阪町歩きのリーダー・陸奥賢さんにお借りしました。陸奥さんは、かつて大阪にあった「七墓参り」の復活プロジェクトもやっておられます。今日も会場にお越しです。

 

○第1回 大阪の上町台地
【江戸時代の堺の様子】

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内田 これはポルトガル語ですかね。
釈  はい。江戸時代の堺の様子だそうです。陸奥さんの話によると、我々が最初に歩いた上町台地の周辺もおそらくこれに近いような風景だっただろう、ということです。断崖絶壁があちこちにあって、船着き場もたくさんあるという。
内田 この船、中国の船っぽいですね。浙江省とか福建省あたりから来ているって感じがしますね。
釈  そうか、そうですね。
内田 江(弘毅)さんのご先祖だって四代前に福建省から岸和田にきたんでしょう。江戸時代には堺のあたりにはけっこうたくさん来ているんですよ。
釈  なるほど。そうですね、堺もやはり巨大な玄関口だったわけですから。
内田 ええ。
釈  こうして見ると、ほんとうに大阪の上町台地って、すぐ下は海だったんですね。
内田 そうですね。

 

四天王寺の西門から見た夕日】

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釈  四天王寺の西門です。第一回目に上町台地を縦走したときはちょうど春のお彼岸の時分でしたので、西門の真ん中に夕日が落ちていく感じでしたね。
内田 ビルとか電柱とかって、ほんとうに腹が立ちますね。
釈  あのときも怒っておられましたねえ。
内田 だって、この門から見おろす大阪湾の風景って、日本文学史のなかに残る歌枕なんですよ。その四天王寺の西門から日没を見る瞑想的風景の真ん中に交通信号がある。言語道断ですよ。
釈  ここでは内田先生に謡曲を朗誦して頂きました。大変ありがたい経験でした。

 

【千日前の墓所

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釈  これは千日前の墓所だそうです。千日前は犯罪者を処罰する場所でもありました。そして、画面の下あたりに黒い門があります。これが現在の黒門市場の名称につながったそうです。千日前という呼称も、千日参りや千日念仏からきているんでしょう。
  墓所といえば、かつての大阪では都市を要所要所に取り囲むように墓所がありました。その中には無縁墓地もたくさんあったのです。その墓所を七か所巡るのが「七墓参り」です。七墓は、いくつかバリエーションがあったようです。有名なところで言いますと、梅田、南濱、葭原、蒲生、小橋、千日、鳶田あたりですね。
 大阪中心部は都市ですから、さまざまな人や文化が流入してきます。つまり、地縁血縁のない人達が暮らせる場所でもあることに大きな特性があるわけです。
内田 はい。
釈  その人たちが亡くなると、無縁墓に埋葬されることが多い。だから大阪の人たちは気の毒に思って行列をつくって、無縁のお墓をお盆に七か所巡っていたのが七墓参りというわけです。このお参り、実際にはお酒飲んだり芸者さんを連れていったりして、どんちゃん騒ぎだったようです。そして、江戸時代には質素・倹約の生活をせよという自粛命令が出た際にも、「お墓参りじゃないか」とうそぶいてやめなかったそうです。明治になるまで続いてきました。

 

【千日参り】 

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釈 ところで、陸奥さんによると、近年、それらのお墓がどんどんなくなっているらしい。つい最近までお祀りしていた無縁墓が、いきなり撤去されている。
内田 行政が撤去したんですかね。
釈  そのようです。
陸奥 梅北の北ヤード界隈の無縁墓もなくなっていました。
内田 ほんとうに梅北はいけないねえ。行ったらお墓がなくなっていた、と。
釈  つい最近まであったのに、何もなくなっている。
内田 その上にグランフロントができている。悪いけど、祟られますよ。そういう罰当たりなことをしていると。


○第2回 京都、蓮台野と鳥辺野

船岡山建勲神社

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釈  さて、これは京都編です。最初に行ったのは船岡山でした。向こうの方に比叡山が見えまして。ぽこっとこう、丘みたいになっています。

 

【千本ゑんま堂】

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釈  そして、次は千本ゑんま堂です。ちょっと何かチープ感が……。
内田 これは割といい絵柄ですけど、実際はもっとチープで世俗的でしたね。
釈  ちょっとタイガーバームガーデン系の。
内田 そうですね。

 

【スペースALS-D】

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釈  こちらはスペースALS―Dです。こういう場所が組み込まれているところに、我々の聖地巡礼の大きな特徴があると思います。
 この甲谷匡賛さんは、ALSD(筋萎縮性側索硬化症)という難病になられたあとに出家され、現在は介護をされている方とともに毎日、神社仏閣をめぐり、「巡礼」されています。
内田 甲谷さんて不思議なたたずまいの方でしたよね。あのときもそういう話が出ましたけれど、甲谷さんが一種の「生き仏」になっていて、彼をご本尊とした霊的な空間が同心円的に拡がってるという感じがしましたね。神社の祭神さまも仏閣のご本尊も自分から動き出して何かするわけじゃない。祭祀の中心にあるものは身動きせず、何も語らないけれど、それを中心として場が整ってゆく。だから、本来の人間集団では、病人であったり、幼児であったり、老人であったり、その人自身は何もしないし、何もできないという人が集団統合の中心になったんじゃないでしょうか。

 

【西大谷】

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釈 さて、次は西大谷です。
内田 すごかったですねえ。鬼気迫るものがありました。
釈  この日は小雨が降っていました。もはや夕暮れでしたので、何ともいえない気分でしたね。この道をずっと登っていくと、ついには清水寺の裏に出る。
内田 はい。
釈  ぜひ、清水寺の参道じゃなくて、この西大谷を通って清水さんに行って頂きたいですね。我々のお勧めルートです。ここは古代から続く、死体遺棄場所ですからね。
内田 七墓巡りもそうだと思うんですが、ここも都市の結界部分ですね。
釈  そうなんです。
内田 都市というのは本質的に自然を排した人工的空間ですよね。人工物で埋め尽くされていて、自然はばらばらに寸断され、パッケージされたかたちでしか都市には登場することができない。その都市において発生する唯一の剥き出しの自然、それが「死体」なんです。
釈  なるほど。
内田 『方丈記』に「京の習ひ、何わざにつけても、みなもとは、田舍をこそ頼めるに」とありますように、都市住民は田舎から自然を取り入れて、商品として消費することでかろうじて生きている。都市内部には自然がない。でも、その当の都市住民は死んだ瞬間に「自然」になる。この消費できない自然物である死体をどう処理するか、これが都市の大問題だったわけです。死体を域外に排除するための仕掛けは、さっきお話した自然と人間世界を架橋するインターフェースと本質的には同じものであるわけですけれど、墓所はその機能を担っています。
釈  実際にその場に身を置くと、「インターフェース」だと実感できます。
内田 そのインターフェースを出入りする「この世ならざるもの」から人間の世界を護るためには、やはりしっかりとした「ゲート」がなくてはならない。それが清水寺だったというわけですね。
釈  まさに古代からの生者と死者の結界部分でした。
内田 京都には鳥辺野、化野、紫野という死体を遺棄する三つのインターフェイスがあったわけですけど、どれも霊的にがっちりガードされていますね。自然界と人間界の間をつなぐ「出入り口」は専門家によってきちんと管理されたものが少数あるだけで十分で、あまりむやみに作るものじゃなかったんでしょう。
釈  それにしても、このあたりは少し場の力が強すぎます。近代自我なんて、つぶされそうになるくらいです。
内田 これらの墓石はひとつひとつがすべて「死体」だと思って見るべきなんでしょう。それこそ何万何十万という死体がこの谷に投げ込まれて、土に還っていった。それがすべてここに蓄積されている。そういう特殊な場だけが持っている固有の空気がありましたね。
釈  先生はこの場所が京都の繁華街のすぐ近くにあることにも、かなり驚いておられましたね。
内田 そうなんですよね、観光地と歓楽街のすぐ横に巨大な墓所があるんですから。

 

○第3回 奈良、橘寺と三輪山

【橘寺】

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釈  さて、奈良編に入りました。
内田 橘寺ですね。ここはほんとうに気分のよいお寺でしたね。
釈  気持ちのいい場所でしたね。飛鳥は、ホント、田舎なのですが、平地のあいだにポコポコっときれいな稜線で大和三山が見える。麗しい国ですよね。
内田 神武天皇の東征でも、定住地を探して九州から出てきて、大和盆地に落ち着くわけですけれど、やっぱり落ち着くだけのものがここにはありますね。住むならやっぱりここだっていう感じがしますもの。

 

大神神社(巳の神杉)】

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釈  そして次に、大神神社に参りました。
内田 ここは拝殿だけで、ご神体は三輪山なんですよね。

 

【狭井神社、三輪山の入り口】f:id:seichi_jyunrei:20140713210400j:plain

釈  大神神社摂社、狭井神社です。これがご神体・三輪山の入り口で、ここから先はおしゃべりも写真もダメっていう、そんなところです。
内田 この後、みんなで三輪山に登っていったんです。
釈  奈良についていえば、北部には東大寺とか興福寺とか仏教の思想体系が組み込まれた、ロゴスティックな都市がある。一方、吉野などの南部は、むせかえるような土俗性、宗教的情念が湧き上がっているような場所です。そういう二面性が奈良の魅力かと思います。これを私は、前者をヒコ奈良、後者をヒメ奈良、などと呼んでおります。

 

○第4回 熊野

熊野川の河原】

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釈 ここからは『聖地巡礼ビギニング』には載っていない、熊野行きの様子を特別にご覧に入れます。
 ここは、明治の洪水で流されるまで熊野本宮があった大斎原(おおゆのはら)という場所の少し横の中洲です。じつは現在の本宮大社は、ここから山を登った場所に移築されています。大斎原は元・本宮があった場所です。今は、更地になっています。なんと、これがすばらしい場所でした。
内田 いまの本宮よりも明らかに宗教的トポスとしては、格が上、とまあ、そういうのも変な話ですけどね。
釈  更地で、何もないのに「聖地感」があふれていました。
内田 ありましたねえ。

 

 【神倉神社】

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釈 こちらは神倉神社です。もう500段以上の……。
内田 石段が続く。
釈  かなりきつい行程でした。
内田 馬越君が祝詞をあげてくださいました。
釈  巡礼部には神職さんがおられて、プロテスタントの牧師さんがおられて、僧侶である私もおりまして。
内田 神道キリスト教、仏教、なんでも来いという。
釈  どの場に行っても、ある程度対応できる(笑)。そして、これがゴトビキ岩という巨岩です。
内田 岩がご神体でしたね。
釈  そうなんです。どうして転げて落ちていかないんだろうっていうようなたたずまい。山の斜面の岩が下からも見える。巨石信仰です。
内田 海からだとはっきり見えるらしいです。次に見た花の窟もうそうですけれど、海からどう見えるかが重要なんですね。
釈  海を移動する人々にとってはランドマークでもある。そういったものは、やはり聖性を帯びていきます。これも典型的な事例でしょう。

 

 【湯の峰温泉

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釈 湯の峰温泉です。日本最古の温泉だそうです。一遍という中世の念仏者もこちらを訪れました。先生、ここの温泉はいかがでしたか?
内田 はい、たいへんに結構でございましたよ(笑)。

 

 【花の窟神社】

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釈  こちらは花の窟神社ですね。
内田 ああ、たしかにここで呼吸法してましたねえ。
釈  いや、ここは、スピリチュアル全開になります。
内田 南方系のアジア的な空間でしたね。周りの植生なんかもポリネシア風で。ちょっとバリも入ってましたね(笑)。
釈  そういえば先生、熊野=バリ説っていうのを唱えておられました。たしかに、ここでケチャックダンスしてもよさそうな(笑)。
内田 これもご神体が巨石なんですよね。巨岩巨石って、ほんとうにパワーがありますね。巨木や滝も含めて、そういう人間的スケールを超えた自然物って、何か神霊的な力がありますね。皮膚感覚にびしびし来ますもの。
釈  日本という国は、北方モンゴロイドと南方モンゴロイドが混在してきた経緯を持ちます。東の端なので、海を移動していって、最後の行き止まりみたいな地勢。いろいろなものが流入して吹き溜まりになった。異物や異質が偏在しています。だから、この地で暮らす人々は「場の宗教性」を感じる力が発達します。体系的なロゴスよりも、宗教的パトスが得意といった感じです。

 

 【那智の滝

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釈 そして、那智の滝です。
内田 これはほんとうにすごかったです。滝壺のほうは、前の台風のせいで巨岩がゴロゴロと転がっていましたが、那智大社青岸渡寺に行って、それから回ってきて……。
釈  この滝の近くに来るまでは、「なんだよ、これは」などとブツブツぼやいておられましたが。
内田 ほんとに世俗化してましたからね。安っぽいお土産物屋が並んでいて。なんだかダメな聖地だなって思って滝に行ってびっくりしました。五分くらいじっと滝を見てたら、いきなりトランスしちゃいましたから。滝壺に落ちているごろごろした巨岩が浮き上がって、ぐねぐね動いて。強烈な幻覚でしたね。
釈  奥底に閉まっていた変性意識の扉が、かんたん開いてしまうような「瞑想装置」でしたね。やはり滝が古代からの行場であるのもわかります。このように古代からある瞑想場所に行くとわかるのですが、おそらく古代人も、人間の脳や心、身体のメカニズムなどを理解していたんですね。
内田 こういう縦に長く落ちてくるタイプの滝って、世界的にはわりと珍しいんじゃないでしょうか。幅何キロもある滝というのはよくありますけど。こういう滝って、どこを見ていいかわからなくなっちゃうんですよ。一点を凝視して流れを見るのか、ひとつの水滴の動きを上から下まで追って、流れに巻き込まれてしまうのか。僕がトランスしちゃったのは上から下まで水滴を追っているときでしたね。
釈  そうですね。日本みたいに、峡谷・渓流が豊かな地形でないと成り立たないでしょう。滝行自体、かなり日本のオリジナル性が高いと思います。少なくとも、こんなに滝行が随所で実践されている文化圏は他にないでしょう。
内田 滝行って、人間の弱さ、小ささ、もろさを思い知るためなんでしょうね。巨大な野性の力に対して、人間の持っている力なんてとても拮抗しえない、そのことを骨身の染みてわかる経験として行なう。だって、上から岩が一個落ちてきただけで死んじゃうわけですから。
釈  ははぁ、確かに。那智の滝を凝視していると、そのうち「脳内の映像って、外界のそれと必ずしも一致していない」ということがリアルになってくるんですよ。なんだか危険な精神状態になってしまって。日常の薄い皮膜が破れて、それまで「成り立っている」と思い込んでいた景色が変容し始めます。
内田 そうですよねえ。
釈  自我って薄っぺらい皮膜みたいなもので、簡単に破れるなあと実感しました。
内田 自我は脆いです。
釈  滝に行くだけで破れちゃう。

 

 【石巻の墓地】

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釈 最後に少しだけ、巡礼と関係のない写真を入れてみました。教え子の大学生を連れて石巻の墓地に行って、がれき撤去のお手伝いをしてきました。墓地なので重機を入れるわけにはいきませんので。
内田 なるほど。
釈  手作業しかありません。大きな墓地でしたが、それをひとつひとつ手作業で分けていきました。やはり昔のお骨も出てくるので、学生が「うわーっ」とか、驚いていましたけど。
内田 墓石を立て直しているんですか。でも、むずかしいでしょうね。
釈  とりあえず一旦はすべてを回収して、一から再構築されるのではないかと思います。
内田 これは津波でやられたところですか。
釈  はい、そうです。なんとか再構築していただきたい。場の宗教性の力を信じたいところです。

 

 【むつみ庵の出棺】

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釈 私が住職をしているお寺の裏にある認知症高齢者グループホーム「むつみ庵」で、出棺しているところです。むつみ庵はNPO法人リライフが運営しています。むかしからの住居をほとんどそのまま使って暮らしていただいています。
 むつみ庵では、これまで5人の方を見送らせていただきました。やはり人が亡くなっていくにつて、むつみ庵が「家」になってくる感じがしています。
内田 むつみ庵では、亡くなった方のお写真を長押の上に並べたりされていますか?
釈  いいえ、それはちょっと思いつきませんでした。そうしたほうがいいでしょうか?
内田 死者たちが慈愛に満ちた眼差しで見守ってくれているような感じがして、いいかもしれませんよ。
 じつは先日、福山にお住まいの方の能楽堂に行ってきたんです。2階が能楽堂で、一階部分がお稽古場と居住場所だったんですが、仏間にはご先祖の写真が掛かっている。そこで着替えていたら、小さいお孫さんが入ってきたので、写真を指差して「あれは誰なの?」って聞いたら、「お爺ちゃんのお父さんとお母さん」とかいって。「知ってるの?」って聞いたら「知らないけど」って。ちょっと色褪せたセピア色の写真を小さな男の子が説明してくれるのを聞いて、なんかいい感じでしたね。
釈  う~ん、なるほど。
内田 死者たちが優しい眼差しを曾孫に送っているという感じがしましたね。
釈  死者の眼差しですか。
内田 だから、むつみ庵も「私も死んだらあそこに並ぶのね」って、両国国技館に歴代の横綱の画が飾っているみたい歴代の物故者の写真を長押に飾ったらどうでしょう。やはり、自分のことが折に触れ語り継がれることが、供養の最たるものですから。
釈  両国国技館(笑)。しかし、ほんとうですね。
内田 死んだあと、みんな自分のことを忘れて、誰も語ってくれなくなるんじゃないのかっていうのが、いちばんの不安でしょう。どんな死に方をしても、折に触れて自分の話を生きている人たちが語ってくれる、どうでもいいような逸話を話して笑いさんざめいてくれている様子を思い浮かべると、死ぬのってそれほど苦痛じゃなくなる。人知れず死ぬっていうのがいちばんつらいんじゃないですか。(続)

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次回の更新予定は8月初旬です。どうぞよろしくお願いいたします!